平安時代好きブロガーの なぎ です。
2019年4月12日、山口県防府市でのこと。
周防国分寺の次は、周防国府跡を訪ねました。
周防国府跡
山口県はかつての「長門国」(西部)と「周防国」(東部)からなります。
周防国の国府は現在の防府市に地名が残る“国衙”にその中心がありました。
※国府=国に置かれた役所がある所在地。
※国衙=国に置かれた役所のこと。国庁とも。
周防国衙跡史跡公園に立つ国庁の碑(幕末に建立)
同じく国庁碑をひいて撮ってみました。
とても広い公園です。
西北隅の「史蹟 周防国衙跡」碑
(今回は訪ねていませんが、東北隅・東南隅・西南隅にもそれぞれ碑があるそうです)
防府市公式ホームページの周防国府のページより。↓
周防国府の範囲
国府の広さは、方八町(約850m)の国府域と中央に方二町の国衙域から成り立っている。(一町は約109m)
国府では中央によって任命され派遣された役人[守 (かみ) ・介 (すけ) ・掾 (じょう) ・目 (さかん)の四等官や史生(ししよう)]と現地で雇われた人々が仕事に就いていました。
周防国府は江戸時代になるまで海に面しており、国府に付属する港があったのだそうです。
山陽道<陸上交通>と瀬戸内海<海上交通>の要所だったのですね。
清少納言も訪れた!?周防国
清少納言の父である清原元輔は天延2年(974年)周防守(周防国の長官で任期は4年)となり平安京から周防国へ赴任しました。
ひょっとしたら元輔とともに清少納言も平安京から周防国へ下向し少女時代を過ごしていたかもしれないと考えられています。
『枕草子』第121段より
むとくなるもの 潮干の潟にをる大船。(以下略)
(訳:かたなしなもの 潮が引いた干潟にじっと動かないでいる大きな船。)
『枕草子』第161段より
遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。
(訳:遠くて近いもの。極楽。舟の道中。人の間柄。)
『枕草子』第242段より
ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。
(訳:ただもうひたすら、過ぎに過ぎて行くもの 帆をあげている船。人の年齢。春、夏、秋、冬。)
こういった清少納言の船(舟)に関する関心は少女時代に瀬戸内海を経て周防国へ下向した際に見聞きした経験が活かされていると思われます。
長文なので割愛しますが『枕草子』第286段 うちとくまじきもの(=気の許せそうにないもの)には
舟の路(みち)(=舟の道中)
が挙げられており、航海での海の様子や櫓を漕ぐ者たちや舟唄のこと、海女(あま)が獲物をとりに海にもぐることなどについて詳しく描かれています。
【本文と訳の引用】
「新編日本古典文学全集18 枕草子」 校注・訳:松尾聰 永井和子/発行:小学館
都の貴族女性である清少納言にとって海や舟は未知のものであり、そこで生活する人々の姿は印象的だったのでしょうね。
…周防国府跡のベンチに座り、しばし清少納言と清原元輔について思いを馳せたのでした。
こののち周防国府跡について知りたく思い、防府市文化財郷土資料館も立ち寄りました。
国府跡に関するパンフレットをいただけて展示内容も興味深くて嬉しかったです。
ひとやすみ。
最後に防府市にある喫茶店「エトワル(Etoile)」へ。
コーヒーとストロベリーパフェをいただきました
おいしかったです!幸せ~。
昭和の懐かしい雰囲気で落ち着く素敵なお店でした。
案内してくださった友達に大感謝!
また防府を訪ねたいです!!
2019年4月12日、山口県防府市でのこと。
周防国分寺の次は、周防国府跡を訪ねました。
周防国府跡
山口県はかつての「長門国」(西部)と「周防国」(東部)からなります。
周防国の国府は現在の防府市に地名が残る“国衙”にその中心がありました。
※国府=国に置かれた役所がある所在地。
※国衙=国に置かれた役所のこと。国庁とも。
周防国衙跡史跡公園に立つ国庁の碑(幕末に建立)
同じく国庁碑をひいて撮ってみました。
とても広い公園です。
西北隅の「史蹟 周防国衙跡」碑
(今回は訪ねていませんが、東北隅・東南隅・西南隅にもそれぞれ碑があるそうです)
防府市公式ホームページの周防国府のページより。↓
周防国府の範囲
国府の広さは、方八町(約850m)の国府域と中央に方二町の国衙域から成り立っている。(一町は約109m)
国府では中央によって任命され派遣された役人[守 (かみ) ・介 (すけ) ・掾 (じょう) ・目 (さかん)の四等官や史生(ししよう)]と現地で雇われた人々が仕事に就いていました。
周防国府は江戸時代になるまで海に面しており、国府に付属する港があったのだそうです。
山陽道<陸上交通>と瀬戸内海<海上交通>の要所だったのですね。
清少納言も訪れた!?周防国
清少納言の父である清原元輔は天延2年(974年)周防守(周防国の長官で任期は4年)となり平安京から周防国へ赴任しました。
ひょっとしたら元輔とともに清少納言も平安京から周防国へ下向し少女時代を過ごしていたかもしれないと考えられています。
『枕草子』第121段より
むとくなるもの 潮干の潟にをる大船。(以下略)
(訳:かたなしなもの 潮が引いた干潟にじっと動かないでいる大きな船。)
『枕草子』第161段より
遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。
(訳:遠くて近いもの。極楽。舟の道中。人の間柄。)
『枕草子』第242段より
ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬。
(訳:ただもうひたすら、過ぎに過ぎて行くもの 帆をあげている船。人の年齢。春、夏、秋、冬。)
こういった清少納言の船(舟)に関する関心は少女時代に瀬戸内海を経て周防国へ下向した際に見聞きした経験が活かされていると思われます。
長文なので割愛しますが『枕草子』第286段 うちとくまじきもの(=気の許せそうにないもの)には
舟の路(みち)(=舟の道中)
が挙げられており、航海での海の様子や櫓を漕ぐ者たちや舟唄のこと、海女(あま)が獲物をとりに海にもぐることなどについて詳しく描かれています。
【本文と訳の引用】
「新編日本古典文学全集18 枕草子」 校注・訳:松尾聰 永井和子/発行:小学館
都の貴族女性である清少納言にとって海や舟は未知のものであり、そこで生活する人々の姿は印象的だったのでしょうね。
…周防国府跡のベンチに座り、しばし清少納言と清原元輔について思いを馳せたのでした。
こののち周防国府跡について知りたく思い、防府市文化財郷土資料館も立ち寄りました。
国府跡に関するパンフレットをいただけて展示内容も興味深くて嬉しかったです。
ひとやすみ。
最後に防府市にある喫茶店「エトワル(Etoile)」へ。
コーヒーとストロベリーパフェをいただきました
おいしかったです!幸せ~。
昭和の懐かしい雰囲気で落ち着く素敵なお店でした。
案内してくださった友達に大感謝!
また防府を訪ねたいです!!