※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2013年)
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『源氏物語』ちはやぶる金の岬
織幡神社
●所在地 :福岡県宗像市鐘崎224
『源氏物語』<玉鬘>に、玉鬘と乳母(めのと)たちが船旅で都から大宰府へ下る場面において、次のような一文があります。
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
【現代語訳】
金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
【本文と訳はwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
※この君(この姫君)とは、夕顔の娘である玉鬘のことです。
乳母たちは夕顔亡きあと、形見である玉鬘を大切な主人としてお世話したのでした。
・金の岬(かねのみさき)=鐘の岬
福岡県宗像市鐘崎(かねざき)にある岬。
筑前国の歌枕。
鐘の岬の沖に地島や大島があります。
潮流が激しく船旅の難所でした。
・「我は忘れず」
夕顔のことをいつまでも忘れまい、という意。
万葉集に詠まれた以下の歌を踏まえています。
ちはやぶる 金の岬を 過ぎぬとも
我は忘れじ 志賀の皇神(すめがみ)
万葉集 巻七
“荒海を無事通過したとて海神を忘れまい”という内容です。
これからご紹介する織幡神社(おりはたじんじゃ)は、金の岬(=鐘の岬)にある左屋形山の山頂に鎮座しており、歌に詠まれている志賀大神(しかおおかみ)も祀られています。
※万葉集に詠まれている「志賀の皇神」は志賀島にある志賀海神社の祭神という説もあります。
※「ちはやぶる 金の御崎を 過ぎぬとも~」の歌碑は志賀海神社と宗像大社の境内にそれぞれあります。
創作(フィクション)とはいえ、『源氏物語』において玉鬘と乳母たちが手漕ぎの船に乗って、鐘の岬を見ながら船旅の安全を神に祈り、海路を進んだことを思い描くと胸が熱くなります。
織幡神社は、宗像大社の境外摂社で「織幡宮(おりはたぐう)」ともいわれます。
平安時代に編纂された『延喜式』では、宗像大社に次ぐ神社として記録されている格式高い神社です。
潮騒が聞こえる中、参道の階段をすすみます。
拝殿
横から見た拝殿と本殿
<御祭神>
武内大臣 (たけしうちのおおおみ)
住吉大神 (すみよしおおかみ)
志賀大神 (しかおおかみ)
天照大神 (あまてらすおおかみ)
宗像大神 (むなかたおおかみ)
八幡大神 (はちまんおおかみ)
壱岐真根子臣(いきのまねこのおみ)
主祭神の武内大臣は、武内宿禰のこと。
織幡宮は武人、武内宿禰を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。
(境内の由緒書より)
沓塚(くつづか)
武内宿禰公が両沓を残して昇天されたといいます。その沓が織幡多神社境内に祀られています。
参道沿いにある巨石。鐘崎には海の向こうから来た釣鐘が海中に沈んでいるという「沈鐘」伝説があります。
大正8年に引き揚げたところ、釣鐘ではなく巨大な石だったのだとか。
参道沿いにある「筑前鐘崎海女の像」。鐘崎は西日本の海女発祥の地として知られています。
【参考にさせていただいた本・パンフレット】
・『源氏物語の鑑賞と基礎知識』12玉鬘 監修:鈴木一雄 編集:平田喜雄 発行:至文堂
・『続・源氏物語紀行』 著 :鈴木幸子 発行:創英社 発売:三省堂書店
・『新編日本古典文学全集』22 源氏物語 3 校注・訳:阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出男 発行:小学館
・『人物で読む「源氏物語」第13巻 玉鬘』 監修:室伏信助 編集:上原作和 発行:勉誠出版
・「神郡宗像 摂末社めぐり」1 織幡神社 発行:宗像大社
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『源氏物語』ちはやぶる金の岬
織幡神社
●所在地 :福岡県宗像市鐘崎224
『源氏物語』<玉鬘>に、玉鬘と乳母(めのと)たちが船旅で都から大宰府へ下る場面において、次のような一文があります。
金の岬過ぎて、「われは忘れず」など、世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、まいて遥かなるほどを思ひやりて、恋ひ泣きて、この君をかしづきものにて、明かし暮らす。
【現代語訳】
金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
【本文と訳はwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
※この君(この姫君)とは、夕顔の娘である玉鬘のことです。
乳母たちは夕顔亡きあと、形見である玉鬘を大切な主人としてお世話したのでした。
・金の岬(かねのみさき)=鐘の岬
福岡県宗像市鐘崎(かねざき)にある岬。
筑前国の歌枕。
鐘の岬の沖に地島や大島があります。
潮流が激しく船旅の難所でした。
・「我は忘れず」
夕顔のことをいつまでも忘れまい、という意。
万葉集に詠まれた以下の歌を踏まえています。
ちはやぶる 金の岬を 過ぎぬとも
我は忘れじ 志賀の皇神(すめがみ)
万葉集 巻七
“荒海を無事通過したとて海神を忘れまい”という内容です。
これからご紹介する織幡神社(おりはたじんじゃ)は、金の岬(=鐘の岬)にある左屋形山の山頂に鎮座しており、歌に詠まれている志賀大神(しかおおかみ)も祀られています。
※万葉集に詠まれている「志賀の皇神」は志賀島にある志賀海神社の祭神という説もあります。
※「ちはやぶる 金の御崎を 過ぎぬとも~」の歌碑は志賀海神社と宗像大社の境内にそれぞれあります。
創作(フィクション)とはいえ、『源氏物語』において玉鬘と乳母たちが手漕ぎの船に乗って、鐘の岬を見ながら船旅の安全を神に祈り、海路を進んだことを思い描くと胸が熱くなります。
織幡神社は、宗像大社の境外摂社で「織幡宮(おりはたぐう)」ともいわれます。
平安時代に編纂された『延喜式』では、宗像大社に次ぐ神社として記録されている格式高い神社です。
潮騒が聞こえる中、参道の階段をすすみます。
拝殿
横から見た拝殿と本殿
<御祭神>
武内大臣 (たけしうちのおおおみ)
住吉大神 (すみよしおおかみ)
志賀大神 (しかおおかみ)
天照大神 (あまてらすおおかみ)
宗像大神 (むなかたおおかみ)
八幡大神 (はちまんおおかみ)
壱岐真根子臣(いきのまねこのおみ)
主祭神の武内大臣は、武内宿禰のこと。
織幡宮は武人、武内宿禰を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。
(境内の由緒書より)
沓塚(くつづか)
武内宿禰公が両沓を残して昇天されたといいます。その沓が織幡多神社境内に祀られています。
参道沿いにある巨石。鐘崎には海の向こうから来た釣鐘が海中に沈んでいるという「沈鐘」伝説があります。
大正8年に引き揚げたところ、釣鐘ではなく巨大な石だったのだとか。
参道沿いにある「筑前鐘崎海女の像」。鐘崎は西日本の海女発祥の地として知られています。
【参考にさせていただいた本・パンフレット】
・『源氏物語の鑑賞と基礎知識』12玉鬘 監修:鈴木一雄 編集:平田喜雄 発行:至文堂
・『続・源氏物語紀行』 著 :鈴木幸子 発行:創英社 発売:三省堂書店
・『新編日本古典文学全集』22 源氏物語 3 校注・訳:阿部秋生 秋山虔 今井源衛 鈴木日出男 発行:小学館
・『人物で読む「源氏物語」第13巻 玉鬘』 監修:室伏信助 編集:上原作和 発行:勉誠出版
・「神郡宗像 摂末社めぐり」1 織幡神社 発行:宗像大社