平安時代好きブロガーの なぎ です。
2024年 5月のこと。
菟道稚郎子尊 宇治墓に隣接する
「浮舟宮跡」碑を訪ねました。
【浮舟宮跡と刻まれた石碑】
以下、石碑に埋め込まれた宇治市による説明を引用します。
浮舟宮跡
此処より東の旧道沿いに、菟道稚郎子皇子(うじのわきのいらつこのみこ)墓の陪塚(ばいちょう)に治定される小さな高まりがある。
この辺り一帯にかつて浮舟宮(うきふねのみや)と呼ばれた古社があった。
榎(えのき)の大木が茂り、浮舟の森とも呼ばれた。
社の由来はつまびらかではないが『源氏物語』宇治十帖の悲劇のヒロイン浮舟の君を祀った社として、里人に親しまれていたという。
江戸時代の中ごろに社が廃絶し、三室戸寺によって「浮舟之古蹟」碑が建てられた。
明治に至り社跡は宮内庁により陪塚として整備され、石碑は近年の開発に伴い三室戸寺境内に移設されている。
宇治市
『源氏物語』に登場する浮舟がこのあたりに祀られていたのですね。
旧道…奈良街道沿いの羽戸[波戸](はと)村にあったことから「波戸浮舟社」という神社であったのだとか。
元々は宇治川の水上交通の守護神が祀られていたのが、いつ頃からか浮舟を祀る社となり、あたりは「浮舟の杜」とも呼ばれていたといいます。
やがて度重なる宇治川の氾濫によって浮舟社の社殿を維持できず、江戸時代に社は取り払われます。
そして社の跡の目印として「浮舟之古蹟」と刻まれた石が置かれたとのこと。石は移転を重ね、現在は三室戸寺境内の最奥部、鐘楼の横に「浮舟之古蹟」碑があるのでした。
フィクションである『源氏物語』の登場人物のひとりですが、かつて浮舟は神として親しまれ、その社の跡は「浮舟宮跡」碑として現在に伝えられているのですね。
【参考】
源氏物語をよむ会 編『(改定版)源氏物語 宇治十帖の風土』宇治文化財愛護協会 1997年(1998年修正)
宇治市文化財愛護協会 編・発行『新 宇治の碑 路傍の語り部たち』 2014年