平安時代好きブロガーの なぎ です。
2024年 5月のこと。
京阪「三室戸」駅から徒歩約4分。
京都府宇治市にある
応神天皇皇太子 菟道稚郎子尊 宇治墓 を訪ねました。
【宇治墓・・・地図で上空から見ると前方後円墳のようです】
宇治墓の向かい側にある「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」ミュージアムの「歴史の間」に『菟道稚郎子伝説』の解説がありました。その文章を以下に引用します。
菟道稚郎子伝説
応神天皇の末子の菟道稚郎子は、父の寵愛を受け、当時最新の学問を学び、皇太子となりました。
応神天皇の没後、
即位を企てた異母兄の大山守命は稚郎子を討とうとし、宇治川での戦いで亡くなります。
三年後、稚郎子は異母兄で後の仁徳天皇の大鷦鷯尊に皇位を譲るため、自ら命を絶ったと伝えられています。
この菟道稚郎子は『源氏物語』宇治十帖に登場する八の宮のモデルであるという説があるのだとか。
確かに部分的にイメージがかぶっているようにも思えます。
共通点(?)
兄弟間での皇位継承争い 宇治に隠棲
ここを掘り下げると複雑になりそうなので、言及は避けます
菟道稚郎子は宇治上神社の祭神のひとりであり、宇治神社の祭神でもあります。
宇治の長い歴史を知る上で重要な人物なのですね。
『源氏物語』に登場する八の宮は、光源氏の異母弟。桐壺院の第八皇子。
宇治十帖のヒロインとなる大君・中の君・浮舟の父親。
朱雀帝の御代に弘徽殿大后たちの廃太子未遂事件に巻き込まれるものの、結局は八の宮が東宮になることはありませんでした。
(この時の東宮は即位してのちの冷泉帝になります。)
八の宮の北の方は中の君を産んで間もなく亡くなり、やがて京にある邸宅が焼亡。
宇治の山荘に移り住み、大君・中の君と暮らすのでした。
(そこに薫がやってきて…!?物語が動き始めます)
【参考】
秋山虔・室伏信助・編『源氏物語必携事典』角川書店 1998年