平安時代好きブロガー なぎ です。
2021年11月のこと。
福井県越前市にある紫式部公園を訪ねました。
平安京で生まれた紫式部は、長徳2年(996年)に越前守となった父・藤原為時とともに越前国[現在の福井県北東部]へ下りました。
越前国府は現在の福井県越前市[武生地区]にあり、そこで紫式部たちは過ごしましたが
長徳3年(997年)の年末か長徳4年(998年)の春に父を残して紫式部は帰京しています。
越前国で1年あまりを過ごした紫式部は何を想いどんなことを見聞きしたでしょうか。
京との違いに喜んだり落胆したりすることもあったでしょう。
それらの経験は後に執筆する『源氏物語』に少なからず影響があったと思われます。
紫式部がただ一度、平安京を離れて過ごした越前国。
これを記念してつくられた「紫式部公園」は、金色の紫式部像[像:高さ約3メートル/台座:高さ約2メートル]や紫式部歌碑・釣殿・池がある広々とした公園で市民の憩いの場となっています。
(入園無料)
紫式部像の足もとは都の方を向き、視線の先には日野山(ひのさん)が…✨
紫式部像 台座 向かって右側(↓ 説明板より)
武生に向かう国司の一行、新任の国の守である父 藤原為時は
乗馬姿、紫式部は袿姿で荷物を担ぐ人たちをねぎらいながら、
輿を降りて一休みする木ノ芽峠あたりの情景
紫式部像 台座 向かって左側(↓ 説明板より)
若宮の五十日の祝いの当夜、藤原道長に賀の歌を所望され、
紫式部が「いかにいかが数へやるべき 八千歳のあまりひさしき
君が御代をば」ととっさに歌を詠む「紫式部日記絵巻」の有名な場面
紫式部像の視線のずっと先には、日野山(ひのさん)[日野嶽・越前富士]があります。
美しい…!!✨
紫式部公園の池には中島や朱い反橋・平橋も。
紫式部公園には寝殿造でいうところの釣殿もあり雰囲気満点。
釣殿(つりどの)
南池に臨んで建てた建物。本来は釣り用であったが、宴・管絃・詠詩詠歌・花見・納涼・観月・雪見だとの行事が四季を通じて行われた。【引用:倉田実 編『平安大事典』朝日新聞出版 2015年】
釣殿から見る景色
夕方の紫式部公園 釣殿
「紫式部公園」に隣接して、2021年4月に「紫式部と国府資料館 紫ゆかりの館」がオープン。
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紫式部公園
福井県越前市東千福町2
紫式部と平安の都 (人をあるく) 倉本 一宏 吉川弘文館