※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2009年)
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺>宮道神社>ゆかりの人々
『源氏物語』における光源氏と明石の君のモデル!?
藤原高藤と宮道列子のロマンスの地
藤原定方 (ふじわらのさだかた)
873年(貞観15年)~932年(承平2年)
平安時代中期の官人。歌人。管弦の名手。
邸宅が三条坊門小路の北面にあったため、三条右大臣と呼ばれる。
歌集『三条右大臣集』を遺す。
父は、藤原高藤。
母は、宮道列子。(宮道弥益の娘)
姉または妹である胤子(たねこ・いんし)は宇多天皇の女御で醍醐天皇の生母となる。
定方は子宝に恵まれ、5人の男子と13人の女子が確認されている。
娘のひとり・能子を醍醐天皇の後宮に入内させる。(能子は醍醐天皇崩御後、天皇の同母弟・敦慶親王と交際を経て、藤原実頼の妻となる。)
政治家としてよりも文化人としての功績を遺す。
宇多上皇や醍醐天皇主催の歌合で活躍し、醍醐朝の宮廷歌壇活動に寄与した。
従兄弟で娘婿でもある藤原兼輔、紀貫之や凡河内躬恒とも歌人同士として交流があった。
山科に勧修寺を建立したことから、子孫は「勧修寺流」と呼ばれる。
祖父の宮道弥益と両親、兄弟たちとともに勧修寺の南にある宮道神社に祀られている。
紫式部とその夫・藤原宣孝はともに藤原定方の曾孫にあたる。
また、紫式部が仕えた一条天皇中宮彰子は定方の玄孫である。
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三条右大臣の名で歌人として知られる藤原定方。
『百人一首』には以下の歌が撰ばれています。
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
三条右大臣
三条右大臣の歌碑は、宮道神社や逢坂関記念公園<滋賀県大津市>、嵯峨野に建立されています。
定方の子孫にも、『百人一首』に撰ばれた歌人が多いので系図にしてみました。
系図と歌をご覧くださいませ。
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定方の五男・藤原朝忠
あふことの たえてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
中納言朝忠
定方の曾孫世代:紫式部・藤原公任・藤原実方
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな もゆる思ひを
藤原実方朝臣
定方の玄孫世代 :藤原賢子(大弐三位)・藤原定頼・藤原道雅
ありま山 ゐなの笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
左京大夫道雅
【参考】
「平安時代史事典CD-ROM版」 監修:角田文衞/編:(財)古代学協会・古代学研究所/ 発行:角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」編:池上洵一/発行:岩波書店
「カラー 小倉百人一首」 編著:島津忠夫・櫟原聰/発行:京都書店
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺>宮道神社>ゆかりの人々
『源氏物語』における光源氏と明石の君のモデル!?
藤原高藤と宮道列子のロマンスの地
藤原定方 (ふじわらのさだかた)
873年(貞観15年)~932年(承平2年)
平安時代中期の官人。歌人。管弦の名手。
邸宅が三条坊門小路の北面にあったため、三条右大臣と呼ばれる。
歌集『三条右大臣集』を遺す。
父は、藤原高藤。
母は、宮道列子。(宮道弥益の娘)
姉または妹である胤子(たねこ・いんし)は宇多天皇の女御で醍醐天皇の生母となる。
定方は子宝に恵まれ、5人の男子と13人の女子が確認されている。
娘のひとり・能子を醍醐天皇の後宮に入内させる。(能子は醍醐天皇崩御後、天皇の同母弟・敦慶親王と交際を経て、藤原実頼の妻となる。)
政治家としてよりも文化人としての功績を遺す。
宇多上皇や醍醐天皇主催の歌合で活躍し、醍醐朝の宮廷歌壇活動に寄与した。
従兄弟で娘婿でもある藤原兼輔、紀貫之や凡河内躬恒とも歌人同士として交流があった。
山科に勧修寺を建立したことから、子孫は「勧修寺流」と呼ばれる。
祖父の宮道弥益と両親、兄弟たちとともに勧修寺の南にある宮道神社に祀られている。
紫式部とその夫・藤原宣孝はともに藤原定方の曾孫にあたる。
また、紫式部が仕えた一条天皇中宮彰子は定方の玄孫である。

三条右大臣の名で歌人として知られる藤原定方。
『百人一首』には以下の歌が撰ばれています。
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
三条右大臣
三条右大臣の歌碑は、宮道神社や逢坂関記念公園<滋賀県大津市>、嵯峨野に建立されています。
定方の子孫にも、『百人一首』に撰ばれた歌人が多いので系図にしてみました。
系図と歌をご覧くださいませ。


あふことの たえてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
中納言朝忠

めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな もゆる思ひを
藤原実方朝臣

ありま山 ゐなの笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
左京大夫道雅
【参考】
「平安時代史事典CD-ROM版」 監修:角田文衞/編:(財)古代学協会・古代学研究所/ 発行:角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」編:池上洵一/発行:岩波書店
「カラー 小倉百人一首」 編著:島津忠夫・櫟原聰/発行:京都書店