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【PICK UP】「金印」出土の志賀島と志賀海神社<福岡市東区> その1

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※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年)
ホームページサービス終了により当ブログへ移動しました。
現況と異なる部分も含まれていることと思います。ご了承くださいませ。



「金印」出土の志賀島と志賀海神社



(『ご当地ピンズ』シリーズ、“福岡ピンズ”のひとつ。「金印」)


2004年7月、福岡市東区にある志賀島(しかのしま)に行ってきました。
志賀島といえば、金印で有名ですよね♪
というわけで・・・金印公園へ。


金印公園



「漢委奴国王金印発光之処」の石碑。
志賀島の南側にある金印公園です。
天明4年(1784年)に金印が発見されました。


<福岡市による看板より>

金印公園

この地は後漢(現在の中国)の光武帝が奴国(現在の福岡市を中心とする地)の使者に授けたといわれる金印(国宝)が発見された場所としてわが国の歴史上、重要な地とされています。
印綬伝来から1900余年を経過したいま、この地に立って博多湾、玄界灘を望みながら遠く中国大陸と交流があった当時をしのべば、私たちの心に新たな感銘を呼びおこすでしょう。




公園には「金印」の拡大バージョンの碑があります。
志賀島の対岸に見えるのは博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)です。



『漢委奴国王(かんのわのなのこくおう』

金印の実物は 一辺2,3cm、重さ108,7g の金塊です。
福岡市博物館の常設展で見ることができます。とても綺麗ですよ~!
金印については、所蔵先の福岡市博物館のホームページが大変詳しいです。

『漢委奴国王』は「漢の倭(わ)の奴(な)の国王」とよむという説と「漢の委奴(いと)の国王」とよむという説がありますが、奴(な)も委奴(いと=伊都)も博多付近の小国でした。



 『後漢書』東夷伝 より (原漢文)

 建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。
 光武、賜ふに印綬を以ってす。

(↑ 私が高校時代に使った日本史の教科書より抜粋。)


建武中元二年は西暦57年(弥生時代)のこと。
この時、光武帝から賜った印綬が志賀島でみつかった金印といわれています。



*福岡市博物館で販売されている金印スタンプ。



≪スタンプに付いていた解説書より≫
つまみ<鈕(ちゅう)>は蛇がとぐろを巻いた姿で、ひもを通す孔(あな)<鈕孔(ちゅうこう)>には紫色のひも<綬(じゅ)>が結ばれていたものと考えられます。

金印は、大切な公文書や手紙の封印に使われました。封印の方法は、文書や手紙を入れた箱を紐で縛りその結び目に付けた粘土に押して封をしたもので、文書の秘密を守る鍵の役目を果たしています。





次回の記事では、志賀島にある志賀海神社をご紹介します。

 志賀海神社へ続きます。



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