※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2009年)
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺>宮道神社
京都市山科区内には、勧修寺ゆかりの以下の人物の墓・供養塔が伝わっています。
現在も地元の方々に大事にされている様子がうかがえますね。
宮道弥益夫妻の墓
●所在地:京都市山科区
宮道弥益は藤原高藤の妻となった宮道列子の父。
宇多天皇の女御・藤原胤子<贈皇太后>の外祖父。
醍醐天皇の外曾祖父。
※なぎ注:私が以前訪ねたお墓は宮道弥益のお墓ではなかったそうです。
またの機会にお参りしたいと思います。
宮道朝臣列子墓
●所在地:京都市山科区勧修寺西栗栖野
宮道列子(つらこ・れっし・たまこ)は宮道弥益(みやじのいやます)の娘。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)との間に 胤子(たねこ)・定国(さだくに)・定方(さだかた)・満子(みつこ)を産む。
醍醐天皇の外祖母。
藤原高藤墓
●所在地:京都市山科区勧修寺下ノ茶屋町
※鍋岡山山頂に墓碑が立っているものの墓碑に至る道がないのだとか。藤原定方墓から遥拝。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)は娘の胤子が産んだ皇子が醍醐天皇となったことで出世し内大臣にいたる。
小一条内大臣、勧修寺内大臣と呼ばれる。
藤原胤子陵
●所在地:京都市山科区勧修寺北大日
贈皇太后藤原胤子。
宇多天皇女御。醍醐天皇の生母。
光孝天皇の第七皇子として生まれた源定省(さだみ=のちの宇多天皇)と結婚。
源維城(これざね)<のちに親王宣下→敦仁親王→醍醐天皇>を産む。
藤原定方墓
●所在地:京都市山科区勧修寺下ノ茶屋町
藤原定方は藤原高藤と宮道列子との間に次男として生まれる。
歌人。管弦の名手。
邸宅が三条坊門小路の北面にあったため、三条右大臣と呼ばれる。
紫式部とその夫・藤原宣孝は定方の曾孫。
※宇多天皇陵は京都市右京区にあります。
※醍醐天皇陵は京都市伏見区にあります。
【参考】
「京都の歴史玄関 やましな盆地」発行:山科区老人クラブ連合会
「平安時代史事典CD-ROM版」 監修:角田文衞/編:古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」 編:池上洵一/発行:(株)岩波書店
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藤原高藤と宮道列子のロマンス>勧修寺>宮道神社
京都市山科区内には、勧修寺ゆかりの以下の人物の墓・供養塔が伝わっています。
現在も地元の方々に大事にされている様子がうかがえますね。
宮道弥益夫妻の墓
●所在地:京都市山科区
宮道弥益は藤原高藤の妻となった宮道列子の父。
宇多天皇の女御・藤原胤子<贈皇太后>の外祖父。
醍醐天皇の外曾祖父。
※なぎ注:私が以前訪ねたお墓は宮道弥益のお墓ではなかったそうです。
またの機会にお参りしたいと思います。
宮道朝臣列子墓
●所在地:京都市山科区勧修寺西栗栖野
宮道列子(つらこ・れっし・たまこ)は宮道弥益(みやじのいやます)の娘。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)との間に 胤子(たねこ)・定国(さだくに)・定方(さだかた)・満子(みつこ)を産む。
醍醐天皇の外祖母。
藤原高藤墓
●所在地:京都市山科区勧修寺下ノ茶屋町
※鍋岡山山頂に墓碑が立っているものの墓碑に至る道がないのだとか。藤原定方墓から遥拝。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)は娘の胤子が産んだ皇子が醍醐天皇となったことで出世し内大臣にいたる。
小一条内大臣、勧修寺内大臣と呼ばれる。
藤原胤子陵
●所在地:京都市山科区勧修寺北大日
贈皇太后藤原胤子。
宇多天皇女御。醍醐天皇の生母。
光孝天皇の第七皇子として生まれた源定省(さだみ=のちの宇多天皇)と結婚。
源維城(これざね)<のちに親王宣下→敦仁親王→醍醐天皇>を産む。
藤原定方墓
●所在地:京都市山科区勧修寺下ノ茶屋町
藤原定方は藤原高藤と宮道列子との間に次男として生まれる。
歌人。管弦の名手。
邸宅が三条坊門小路の北面にあったため、三条右大臣と呼ばれる。
紫式部とその夫・藤原宣孝は定方の曾孫。
※宇多天皇陵は京都市右京区にあります。
※醍醐天皇陵は京都市伏見区にあります。
【参考】
「京都の歴史玄関 やましな盆地」発行:山科区老人クラブ連合会
「平安時代史事典CD-ROM版」 監修:角田文衞/編:古代学協会・古代学研究所/ 発行:(株)角川学芸出版
「今昔物語集 本朝部(中)」 編:池上洵一/発行:(株)岩波書店