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【情報】大津市 紫式部関連イベントまとめ(2024年8月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

令和 6年(2024年)放送の大河ドラマ『光る君へ』に関連して、京都府宇治市・福井県越前市・滋賀県大津市がそれぞれイベント・展示を企画されています。

以下、大河ドラマや紫式部・源氏物語に関する展示の個人的なメモ。

この記事では滋賀県大津市についてまとめています。宇治市はコチラ越前市はコチラ

(2024年 8月24日作成)

 

 

【大河ドラマ館・展示】

 ①「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」

 ②「源氏物語 恋するもののあはれ展」 

  会場:石山寺境内 ①明王院 ②世尊院  

  会期:~令和 7年 1月31日(金)

 

【展示】

 「石山寺と紫式部」展

   会場:石山寺境内 豊浄殿

   [夏季]「紫式部と光る君の物語」

          ~ 8月25日(日)

   [秋季] 「紫式部とほとけの道」

          9月 1日(日) ~12月 1日(日)

 

【展示】

 「紫式部と三井寺展」(PDFページ

  会場:三井寺(園城寺)境内 金堂

  会期: 10月 1日(火)~令和 7年 1月31日(金)

 

【展示】
 
 特集展示「源氏物語と大津」
 
  会場:大津市歴史博物館 常設展示室 ロビー
  
  会期:  ~令和 7年  2月 2日(日)
 
 
 
【展示】
 
 企画展「石山寺」
 
  会場:大津市歴史博物館
 
  会期:10月12日(土)~11月24日(日)
 
 
 

【スランプラリー】
 
 びわ湖大津しきぶらり~ 第2弾 
 
  対象スポット:石山寺三井寺大津市歴史博物館ほか
  第2弾   : ~ 8月31日(土)

  第3弾:9月14日(土)~12月31日(火)開催予定

 
 
【スランプラリー】
 
 紫式部ゆかりの大津 大津市歴史博物館・三井寺・石山寺を巡ろう 源氏物語と大津スタンプラリー
 
  スタンプ設置・プレゼント引換場所:大津市歴史博物館三井寺(文化財収蔵庫)・石山寺(豊浄殿)
  開催期間:~12月 1日(日)まで
  

 

[リンク集]

紫式部の筆はしる源氏物語誕生の地大津

しきぶら 紫式部ゆかりの地・周遊キャンペーン

 

 

私が「大河ドラマ展」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」行ってきました!

 


【展覧会】ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)にて「源氏物語の世界展」開催

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

源氏物語の様々な場面を中心に具現展示をされている風俗博物館(京都市下京区)。

そんな風俗博物館の所蔵品が広島県福山市にある ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)へ出張展示されます。

 

広島県立歴史博物館開館35周年記念
秋の特別展「源氏物語の世界展」

 会期:9月27日(金)~12月1日(日)

 会場:ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

 

公式ホームページによると

❝この展示では、紫式部が身を置き、また『源氏物語』の舞台ともなった平安時代の文化を貴族社会の衣食住を中心に立体的・具体的に再現し、『源氏物語』の世界の魅力を紹介します。❞

とのこと。楽しみですね!!

 

見どころは、『源氏物語』第7帖「紅葉賀」の一場面を1/4で再現した模型

光源氏と頭中将が、青海波(せいがいは)を舞っている場面が展示されるそうです。

 

過去に風俗博物館でその場面が展示されたことがありました。

イメージとして下の画像をご覧ください。こんな雰囲気でしょうか。

 

【画像はイメージです。私が2006年に風俗博物館で撮影しました。】

 

「源氏物語の世界展」の会期中は、講演会や展示解説会、琴演奏会、ワークショップ(牛車乗車体験、平安・中世衣装着用体験、十二単着付け実演ショー、聞香体験、薫物作り体験)が行われるそうです。

事前申し込みが必要なものもあります。

詳しくは公式ホームページをご覧ください。

 

お近くにお住まいの方もそうでない方もどうぞ。

 

私も新幹線に乗って見に行く予定です。

 

 

 ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

  広島県福山市西町2-4-1

  https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

 

 

【平安あれこれ】『源氏物語』に登場する玉鬘と九州の『源氏物語』ゆかりの地

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

『源氏物語』ゆかりの地といえば、京都や須磨・明石を思い浮かべる方が多いと思います。

けれども、少なからず『源氏物語』には筑紫(九州)に関わりがある人物が登場しており、中でも有名なのは玉鬘と呼ばれる姫君ではないでしょうか。

 

【風俗博物館で撮影。成長した玉鬘】

 

玉鬘は京で生まれ、光源氏のライバルでもある頭中将を父に、頭中将の愛人だった夕顔を母にもつ姫君です。

夕顔は、頭中将の正妻による嫉妬から逃れるために身を隠していたところ、光源氏に見いだされ愛されることになります。

しかし夕顔は物の怪により急死。光源氏の悲しみは大変深いものでした。

夕顔が行方不明になった時、娘の玉鬘はまだ3歳。

 

母・夕顔の死を知らないまま、玉鬘は4歳で乳母たちとともに京から筑紫の大宰府(福岡県太宰府市)へ下ります。

それは乳母の夫が大宰少弐[だざいのしょうに=大宰府の実質上の次官]になったからでした。

乳母の夫は大宰府で亡くなりますが、玉鬘と乳母たちには帰京するだけの力もなくやがて肥前国へ移り住みます。

 

そんな中、肥後国の豪族である大夫監(たいふのげん)が美貌と評判の玉鬘に求婚してきます。

地方豪族の大夫監と結婚するわけにはいきません。

なぜならば玉鬘と乳母一家は、京へ戻り、玉鬘の父[頭中将から出世してこの時は内大臣]に玉鬘の存在を知ってもらって幸せになれるよう神仏に祈ってきたからです。

 

玉鬘たちが筑紫滞在中に信仰していたのが鏡神社(佐賀県唐津市)と筥崎宮(福岡市東区)でした。

また、玉鬘に仕える下女の言葉に観世音寺(福岡県太宰府市)が出てくることから、観世音寺も信仰していたのではないかと思われます。

 

【風俗博物館で撮影。帰京後、長谷寺参詣の途中に椿市で休息する玉鬘。】

 

神仏への願いが届いたのか、玉鬘は無事に帰京を果たし、光源氏の邸宅「六条院」にひきとられることになります。

父親とも再会。結婚後は三男二女の母となります。

 

そうした流れで玉鬘との関わりによって九州が『源氏物語』の舞台となります。

以下、作中に登場するゆかりの地です。

 

 

■大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)

 乳母の夫が勤務。玉鬘たちも大宰府に住む。

 

私が「大宰府政庁跡」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】【太宰府】大宰府政庁跡(2023年 2月25日)

 

 

■金の岬(福岡県宗像市鐘崎)

 玉鬘たちが京から筑紫へ下る船旅で作中に地名として登場

 

 

■鏡神社(佐賀県唐津市)

 玉鬘たちが信仰。作中の和歌にも詠まれる

 

 

■筥崎宮(福岡市)

 玉鬘たちが信仰していた神社。『源氏物語』常夏巻では和歌の中に歌枕として登場。

 

私が「筥崎宮」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】筥崎宮 波立ち出でよ筥崎の松

 

 

■観世音寺(福岡県太宰府市)

 玉鬘に仕える下女が見聞きした寺。おそらく玉鬘たちも信仰。

 

私が「観世音寺」を訪ねた時のこと(当ブログ内の記事へのリンクです)

 【平安あれこれ】【太宰府】観世音寺 (2023年 2月25日)

 

 

筑紫を訪ねたことはないはずの紫式部が、『源氏物語』に筑紫の寺社を登場させたのは夫の藤原宣孝や友人の影響があったと考えられています。

それについてはまた別の記事にまとめたいと思います。

 

※この記事は、私が作成しているwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』より一部転載しています。

 

 

【平安あれこれ】鏡神社 ~松浦なる鏡の神~(2024年6月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 6月のこと。

佐賀県唐津市にある鏡神社を参拝しました。

 

【鏡神社 鳥居】

 

鏡神社は『源氏物語』において「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と歌に詠まれ「松浦の宮」と本文に登場します。

また紫式部の家集『紫式部集』でも「松浦なる鏡の神」「松浦の鏡」と歌に詠まれています。

 

平安京から遠く離れていながらも『源氏物語』と『紫式部集』の両方に出てくる神社として稀有な存在だと思います。

 

【鏡神社 一の宮 ご祭神:息長足姫命(神功皇后)】

 

『源氏物語』玉鬘巻

玉鬘と乳母たちは肥前国に滞在していた頃、鏡神社を信仰していました。

肥後の豪族・大夫監が玉鬘へ求婚の歌を詠み、乳母が玉鬘の代わりに返歌を詠む場面があります。

 

大夫監が詠んだ歌

 君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ

 

[現代語訳:姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います]

 

 

乳母が詠んだ歌

 年を経て祈る心の違ひなば 鏡の神をつらしとや見む

 

[現代語訳:長年祈ってきましたことと違ったならば鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

 

ここで「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と詠まれているのが、鏡神社のことです。

玉鬘と乳母たちは、大夫監からの強引な求婚から逃れるために、船で筑紫を脱出することを決意します。

 

【鏡神社の境内には、大夫監が詠んだ歌の碑があります】

 

 

『源氏物語』玉鬘巻において、船出する時のこと。

 

 ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

 

[現代語訳:ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

「松浦の宮の前の渚」とは鏡神社の前に広がっている渚のこと。


玉鬘一行は唐津湾あるいは松浦川から船出しますが、乳母の娘のひとりで “おもと” と呼ばれる女性は肥前での家族が多くなっているため肥前に残ることに…。


 “おもと” の妹は、鏡神社の前に広がる美しい海辺の景色と 姉 “おもと” との別れを悲しむのでした。

 

筑紫から無事に帰京した玉鬘たちではありますが落ち着いて住むすべがありません。

そこで京都府八幡市にある石清水八幡宮への参拝をします。

 

『源氏物語』玉鬘巻


 「[略」近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。[略]」

 

[現代語訳:この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

乳母の息子が、京の近くにある石清水八幡宮は筑紫滞在中に京に帰れるよう信仰していた松浦の鏡神社(佐賀県唐津市)・筥崎宮(福岡市東区)と同じ社であるから無事に上洛できたお礼参りをしましょう、と参拝をすすめたのでした。

 

石清水八幡宮の御祭神:応神天皇、比咩大神、神功皇后(息長帯比賣命) 鏡神社の御祭神   :息長足姫命(神功皇后)、藤原廣嗣朝臣 筥崎宮のご祭神   :応神天皇、神功皇后、玉依姫命

 

鏡神社の御祭神に応神天皇(八幡大神)はいませんが、応神天皇の母である息長足姫命(神功皇后)が祀られていることにより応神天皇(八幡大神)と同質の神と見做されたのではないかと…。

平安時代の信仰が気になるところです。

 

【二の宮 ご祭神:藤原廣嗣朝臣】

 

『源氏物語』の作者である紫式部はなぜ、平安京から遠く離れた肥前国の鏡神社のことを知っていたのでしょう?


それは紫式部は、平安京から筑紫の肥前国へ下った女友達と文通していたからなのでした。ふたりの交流は紫式部の家集『紫式部集』から知ることができます。

 

 『紫式部集』より

 

紫式部が詠んだ歌
 

 あひみむとおもふ心はまつらなる 鏡の神やそらにみゆらむ

 

[現代語訳:あなたに逢いたいと思う心は、松浦にある鏡の神も空にあって御覧になっておられるでしょうか。]

 

 

紫式部の女友達が詠んだ歌

 

 ゆきめぐりあふをまつらの鏡には 誰をかけつついのるとかしる

 

[現代語訳:ゆきめぐり、またあなたと逢える日を待つという、松という名を負う松浦の鏡には、誰を心に懸けて祈っていると御存知ですか。いうまでもなくあなただけです。]

 

【本文・現代語訳は『新訂版 紫式部と和歌の世界 一冊で読む紫式部家集 訳注付』(上原作和・廣田収 編)より引用】

 

紫式部の歌に「まつら(松浦)なる 鏡の神」とあり、『源氏物語』玉鬘巻に出てくる大夫監の歌を彷彿としますよね。

女友達は「まつら(松浦)の鏡」と詠んでいます。

 

この歌が詠まれたのは、紫式部の父である藤原為時が越前守として越前国に赴任していた頃のこと。

結婚前の紫式部は為時とともに越前国へ下っていました。

一方、女友達もまた肥前守となった父とともに京から肥前国に下って暮らしていました。

 

1000年以上も前に、越前と肥前…遠く離れていながらも鏡神社を介して再会を願った女性たちがいたこと。

それを現在、知り得ることができて切なくも嬉しく思います。

 

この女友達は、肥前守平維将の娘で紫式部とは従姉妹関係にあたるともいわれています。

 

 

 

 

さて、鏡神社には他にも見どころがあります。

【狛犬】

狛犬ならぬ、狛虎…?虎の姿をしています。

雌の狛犬の足元には赤ちゃん狛犬がいます。

 

【子宝・安産のご神木】

二の宮の近くにある樟で、おなかがふくらんだ妊婦のような姿をしています。

子宝・安産・夫婦円満にご利益があるのだとか。

 

 

※この記事は、私が作成しているホームページ『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』『花たちばな』での鏡神社のページをもとに編集・加筆しました。

 

 

 鏡神社

  佐賀県唐津市鏡1827

  https://kagami.or.jp/

 

 

 

紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)   倉本一宏 講談社

 

紫式部と王朝文化のモノを読み解く 唐物と源氏物語 (角川ソフィア文庫)   河添 房江 KADOKAWA

 

新訂版 紫式部と和歌の世界―一冊で読む紫式部家集 訳注付   上原 作和 武蔵野書院

 

 

 

 

【広島県立歴史博物館】特別展「源氏物語の世界展」に行ってきました!(2024年9月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年9月のこと。

 

広島県立歴史博物館 開館35周年記念

秋の特別展「源氏物語の世界展」を見に行ってきました。

 

展示品の多くが風俗博物館の所蔵品であり、写真撮影可能でした。

一部をご紹介したいと思います。

 

第一章 『紅葉賀』光源氏の青海波・行幸の演出で知る平安貴族の世界

 源氏物語絵巻

  寝殿模型(1/4縮尺)

  源氏物語絵巻(印刷複製)(広島県立図書館蔵)

 

 

 

第二章 『衣』よそおいの源氏物語

 絹のいろいろ

 有職の色彩~植物染料染め色の美~

 有職の色彩~かさね色目で表す美意識の世界~

 女性装束

  装身具 女性

  十二単の変遷

  特集展示 受け継がれた装束文化ー秩父宮家の装束ー

 男性装束

  年中行事にみる装束

  舞楽装束(蘭陵王の装束)

  即位の礼服~奈良時代より江戸時代まで続いた儀式装束~

  高御座

  男性装束の変遷

  装身具 男性

 

 

第三章 平安王朝『食』と『住』

  平安時代の遊び

  薫物の世界

  王朝料理~平安時代の御馳走~

  平安時代の調度

 

 

この展覧会は、2024年9月27日(金)~12月1日(日)まで。

とても見ごたえがある展示でしたのでオススメです!!

 

ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

 広島県福山市西町二丁目4-1

 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

 

 

日本服飾史 男性編 (趣)   井筒 雅風 光村推古書院

 

日本服飾史 女性編 (趣)   井筒 雅風 光村推古書院

 

 

 

【京都市】「源氏物語ゆかりの地」説明板 一覧

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2008年(平成20年)に「源氏物語千年紀」を迎えるにあたって、京都市は『源氏物語』の舞台となった場所や寺社・関係史跡 合計40ヶ所に「源氏物語ゆかりの地」説明板を設置されました。

そして、2023年(令和5年)には新しく7ヶ所に「源氏物語ゆかりの地」説明板が設置。

 

かつて「源氏物語ゆかりの地」説明板①~㊵までをまわったことがありましたが、新たに追加された㊶~㊼も含めて、再度ゆっくりまわれたらと思っています。

 

 参照:京都市情報館~「源氏物語」ゆかりの地をたずねる~

 参照:私のwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』「源氏物語ゆかりの地」説明板一覧

 

当ブログ「晴れのち平安」内で紹介しているものにつきましてはリンクを貼っています。

 

【説明板の名称】

①平安宮内裏跡

②平安宮内裏凝花舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡

③平安宮内裏弘徽殿跡

④平安宮内裏清涼殿跡

⑤平安宮内裏承香殿跡

⑥平安宮内裏蔵人町屋跡

⑦史跡 平安宮内裏内閣回廊跡

⑧平安宮内裏紫宸殿跡

⑨平安宮内裏淑景舎(桐壺)跡

⑩平安宮内裏昭陽舎(梨壺)跡

⑪平安宮内裏温明殿跡(内侍所)跡

⑫平安宮内裏東限と建春門跡

⑬平安宮内裏南限と建礼門跡

⑭平安宮内裏宜陽殿跡

 

⑮平安宮大蔵省跡・大宿直跡

⑯平安宮朝堂院大極殿跡

⑰平安宮西限と左馬寮跡・藻壁門跡

⑱史跡平安宮跡 豊楽殿院跡(豊楽殿跡)

⑲平安宮朝堂院昌福堂跡

 

平安京一条大路跡

一条院跡

㉒二条院候補地(陽成院跡)

㉓大学寮跡

㉔斎宮邸跡

㉕朱雀院跡

㉖西鴻臚館跡

㉗羅城門跡

 

㉘鞍馬寺

㉙大雲寺旧境内

㉚雲母坂

㉛雲林院

㉜遍照寺境内

㉝棲霞観跡(清凉寺)

㉞野宮(野宮神社)

㉟大堰の邸推定地

法成寺跡

廬山寺

㊳梨木神社

㊴鳥辺野

㊵大原野神社

 

㊶西三条第(藤原良相邸)

㊷紅梅殿

㊸六条河原院

 

㊹小野といふわたり

㊺松ヶ崎

晴明神社

㊼宝塔寺

 

*説明板設置場所以外の源氏物語や紫式部にゆかりのある地

賀茂別雷(上賀茂)神社

賀茂御祖(下鴨)神社

紫式部墓伝承地

・賀茂斎院跡

・引接寺石塔

 

 

新版 平安京図会   (公財)京都市生涯学習振興財団 山代印刷株式会社出版部

 

平安京百景 ー京都市平安京創生館展示図録ー   公益財団法人京都市生涯学習振興財団 山代印刷株式会社出版部

 

【太宰府】大宰府展示館(2024年10月26日)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年10月26日のこと。

久しぶりに大宰府政庁跡を訪ねました。

 

前回訪ねた時の様子はこちらでまとめています。

【平安あれこれ】【太宰府】大宰府政庁跡(2023年 2月25日)

 

【大宰府政庁跡 右脇殿跡と正殿跡を望む】

 

 

集合時間まで余裕があったので大宰府展示館の展示を久しぶりに見学。

館内は写真撮影OKです。

 

【梅花の宴】

 

【奈良時代における女性の再現衣装】

 

【大宰府政庁模型】

 

【大宰府は条坊を持つ都市でした】

 

『源氏物語』の主要登場人物で大宰府と関わりが深いのは、玉鬘[父:頭中将、母:夕顔]が挙げられます。

 

また『源氏物語』の脇役に目を向けると、大宰大弐(だざいのだいに)または大宰少弐(だざいのしょうに)といった大宰府の役人やそのゆかりのある人物が多いことに気づきます。

 

そうした人物たちもこの碁盤の目のような都市のどこかで暮らしていたのだろう…と思うと感慨深いものがあります。

 

当方のwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』内のコンテンツ「源氏物語ゆかりの地をめぐる 遥かなる筑紫 大宰府」「源氏物語に登場する大宰府と縁のある人物」にまとめていますのでご興味がおありの方はどうぞ。

 

紫式部の夫である藤原宣孝や娘の賢子も大宰府を訪れています。

 

 

【『源氏物語』の中の大宰府~紫式部が描いた西の都~】

 

パネルの内容は館内に置かれているパンフレットにも掲載されておりオススメです!!

大宰府展示館は度々訪ねていますが、『源氏物語』や紫式部についてガッツリ紹介されているのは初めて見ました。

 

大河ドラマ『光る君へ』の影響が大きいのでしょうか。

嬉しいですね

 

 

 

 大宰府政庁跡(大宰府展示館)

  福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1

       公益財団法人 古都大宰府保存協会 公式ホームページ

  https://www.kotodazaifu.net/

 

 

【太宰府】「歩かんね太宰府」に参加しました!(2024年10月26日)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 9月のこと。

太宰府のガイドつき街歩き「歩かんね太宰府」で「『麗し太宰府』を歩く~紫式部の世界~」というコースが10月26日(土)に開催されるという情報を友達から教えてもらいました。

 

太宰府で紫式部ですって…!?

 

紫式部と聞いてすぐに申し込みしてしまいました。笑

「歩かんね太宰府」について何も知らず、さらに初参加なのでド緊張状態で当日(10月26日)を迎えることに。

 

【大宰府政庁跡】

 

集合場所は大宰府政庁跡。

ガイドは『麗し太宰府』の著者でもある前野りりえさん。

 

参加者の皆さまがそろったところで政庁跡の北部に移動しレジュメを見ながら前野さんによるお話をお聞きしました。

その後、「歴史の散歩道」を歩き、最初に訪ねたのは「弘法水(こうぼうすい)」と呼ばれる池でした。

 

【弘法水】

 

「弘法水」は「清水井」とも呼ばれ、透明で冷たい水が湧き出ています。

観世音寺の北側に位置し、池の周りに観音菩薩と弘法大師の石像があります。

 

観世音寺の山号が「清水山」なのは、観世音寺の北にこの清水が湧き出る池があることにちなむのだとか。

 

※参考:太宰府市文化ふれあい館のホームページ > 学芸だより 弘法大師と水 ・ 太宰府観世音寺 「弘法水」

 

20年以上ぶりに訪ねた「弘法水」でしたが、現在も大事に守られている様子がうかがえますね!

 

次に訪ねたのが観世音寺でした。

 

【参道から見た観世音寺講堂】

観世音寺のお堂は江戸時代に再建されたもの。

 

【講堂の扁額には「清水山」とあります】

 

【観世音寺境内にある「清水記碑(せいすいきひ)」】

 

「清水記碑」は江戸時代の1776年に福岡藩士・加藤一純によって建立。

碑文には観世音寺が『源氏物語』にも記された古刹であることや山号「清水寺」の由来などが記されています。

 

観世音寺の宝蔵では仏像を見上げうっとり

何度もお参りしていますが、どの仏像も素敵な佇まいです。合掌。

 

 

 観世音寺については過去に別記事でも書いていますのでご興味がおありの方はどうぞ。

 【平安あれこれ】【太宰府】観世音寺 (2023年 2月25日)

 

 

お昼は観世音寺にある天智院にて、ご用意いただいていたお弁当を食べました。

天智院は通常は入れないお茶室なので貴重な機会となりました。

 

【サクランボカフェさんの「紫式部弁当」】

 

ボリュームたっぷりで、きのこごはんもおかずもおいしかったです!!

この写真では色が綺麗に写せなかったのですが、手前にある紫芋の茶巾も美味でした。

 

 

最後に戒壇院をお参りして解散となりました。

いつも一人でまわることが多いので、解説をお聞きしながら複数人で歩くのはとても楽しかったです。

 

 

ガイドの前野りりえさん、スタッフの皆さま、ありがとうございました!!

 

前野りりえさんのブログ

 「麗し太宰府blog」

 

 

 

麗し太宰府 KanKanTrip Japan   前野 りりえ 書肆侃侃房

 

 


【平安あれこれ】2024年11月16日、土御門第跡にて「望月の歌」を偲ぶ

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

寛仁2年(1018年)10月16日、藤原道長が

「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」

と詠んだのは、道長の娘・威子が後一条天皇の皇后に立った日で、儀式が終わり、二次会のくつろいだ宴席でのことでした。

 

藤原道長の日記『御堂関白記』では、道長が和歌を詠み、人々がその和歌を詠唱したことしか記されていませんが、藤原実資の日記『小右記』において和歌の全容を知ることができます。

 

またこの時、『小右記』によると「夜深月明(夜深く、月明し)」と記されています。

和歌が詠まれた頃は夜も更けて望月(満月)が土御門第[土御門殿]を明るく照らしていたと思われます

 

2024年の場合、「望月の歌」が詠まれた旧暦10月16日にあたるのは、11月16日(土)でした。

・・・というわけで、私は「望月の歌」が詠まれた土御門第[土御門殿]を偲ぶべく2024年11月16日(土)当日に京都を訪ねたのでありました。

 

【土御門第(つちみかどてい)跡の駒札】

京都御苑(京都市上京区)内にある京都迎賓館の南、京都仙洞御所の北、清和院御門の西に駒札があります

 

↓ 土御門第跡 駒札より

土御門第跡

 平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第、京極第などとも呼ばれました。道長の長女彰子が一条天皇のお后となり、里内裏である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。

 

 

平安京オーバーレイマップや『新版 平安京図会』史跡散策の巻を見ますと、京都仙洞御所の北池あたりは、かつての土御門第跡の一部と重なります。

 

現在の京都仙洞御所・大宮御所に平安時代の面影はありませんが、事前に申し込みの上、約17年ぶりに参観しました。

江戸時代の後水尾上皇と東福門院(徳川和子)以来、上皇の住まいとして御所が営まれてきたところです。

 

庭園は当初は、小堀遠州による作庭でしたが度々の改修により、現在の姿となったそうです。

 

【京都仙洞御所 北池】

広々とした心地よいお庭です。木々の紅葉が始まっていました。

新たに池を掘るのは大変な作業でしょうから、ひょっとしたら土御門第があった頃の池が部分的にでも活かされていたりして…?

【京都仙洞御所 北池】

鴨をはじめ多くの鳥がゆったり過ごしています。

 

【2024年11月16日 午後6時頃、土御門第跡あたりから空を眺めました】

 

京都仙洞御所を参観後、一旦京都御苑を離れてから日没を待ち、再び京都御苑の土御門第跡あたりを再訪。

写真に見える塀は、京都仙洞御所の北側のものです。

 

空は厚い雲で覆われていました。

雲が途切れて望月(満月)が姿を現さないか、しばらく待ってみたものの月を見ることは叶いませんでした。

せめてベンチが雨で濡れていなかったら座って待てたのですが、立ちっぱなしでヘロヘロに。

 

雲のいづこに月やどるらむ…。

 

【写真中央寄り、ほんのり明るいところに満月はあったのかも…?】

 

【清浄華院 特別御朱印】

京都御苑の近くにある清浄華院では、藤原道長が晩年を過ごした法成寺の礎石を設置・保管されていることから道長に関する特別御朱印を授与されています。(2024年12月まで)

「望月の歌」が詠まれたのと同じ日にこの御朱印をいただけてよかったです。

 

 

※京都仙洞御所や清浄華院が設置・保管されている礎石については別記事で書きたいと思います。

 

 

新版 平安京図会   (公財)京都市生涯学習振興財団 山代印刷株式会社出版部

 

 

 

【広島県立歴史博物館】特別展「源氏物語の世界展」より 女性装束 十二単の変遷(2024年9月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年9月のこと。

広島県立歴史博物館の秋の特別展「源氏物語の世界展」を見に行ってきました。

展示品が多く大変見ごたえがある展覧会でした。

 

そのうち、特に印象に残ったものをブログで数回に分けてご紹介したいと思います。

会場内は一部を除き、風俗博物館の所蔵品は写真撮影可能でした。

 

※ ❝ ❞内は、解説パネルより。

※用語の読みや意味は( )または[ ]で補っています。

 

 

第二章 『衣』よそおいの源氏物語

女性装束 十二単の変遷

 

【十二単の変遷 展示の様子】

平安時代初期から令和にいたるまでの十二単が展示されていました。

 

 

①平安時代初期〜中期

ー遣唐使停止を機に国風装束へー

裙帯比礼の物具装束 (公家女房) [復元品]

❝裙帯[くんたい=飾り帯]、領巾[比礼(ひれ)=肩に掛ける細長い布]をつけ、髪を垂らした後、結い上げ、宝冠(ほうかん)をつけた奈良時代の礼服(らいふく)の形を残したもの❞

 

フル装備された十二単って感じ。

髪が結い上げられ宝冠をつけた姿にうっとり✨

裙帯や領巾(比礼)も美しいです。

 

 

②平安時代中期

ー唐様(からよう)を変化させ日本独自の十二単の完成ー 

晴れの装い・十二単(公家女房) [復元品]

うっかりして、解説パネルを撮るのを忘れていました💦

復元された平安時代の十二単としてポピュラーな姿ですよね。

胸元を見ると、単から表着までをまとめて合せられているのがポイント。

 

 

③江戸時代 前期

ー応仁の大乱以来の有職の乱れー

儀式服と化した十二単、伝承の混乱

正装(公家女房)[復元品]

❝室町時代の応仁の乱(1467年~1477年)の後、しきたりが不明となり十二単に特別な形が生まれました。❞

❝この姿は後水尾天皇中宮和子(江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘)の遺品を復原したものです。❞

 

雛人形では現在も掛帯(かけおび)付きの裳を身に着けた女雛を目にすることがあります。

しきたりが不明であった時期を経て、当時の美意識や研究によってこの姿があったと思うと感慨深いです。

 

 

④令和の即位礼 皇后陛下

十二単[複製品]

❝即位礼における皇后陛下の盛装です。

白小袖に長袴をつけ、その上に単、五衣、打衣、表着を重ね、唐衣と裳をつける形式は平安時代に近いものです。

髪型は江戸時代後期以来の形式である大すべらかしで、平額(ひらびたい)[釵子(さいし)]・櫛を飾ります。❞

 

優しいお色ですよね。

360度ぐるぐるまわって見学しました。笑

 

 

会場内には二十枚の重袿の上に裳と唐衣を身に着けた人形の展示も。

【二十枚の重袿が圧巻です】

立て膝をして座っているのも素敵。

 

【二十枚の重袿+裳+唐衣】

裳を後ろに長くひいている姿が美しいです。

 

 

この展覧会は、2024年9月27日(金)~12月1日(日)まで。

 

 

ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)

 広島県福山市西町二丁目4-1

 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/rekishih/

 

 

※十二単の変遷にご興味がおありの方は、当ブログ内のこちらの記事もどうぞ。

京都産業大学ギャラリーにおいて、風俗博物館所蔵の人形による展示がありました。

 【京都】「女子宮廷装束の華」展 ① 十二単の変遷

 

 

日本服飾史 女性編 (趣)   井筒 雅風 光村推古書院

 

 

【旅行記INDEX】京都へ行ってきました!(2024年11月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年11月、京都へ行ってきました。

フェリー1泊、京都2泊3日の旅となりました。

 

ゆっくりまったり、旅行でのことをぽつぽつブログに書きたいと思います。

(広島県立歴史博物館の「源氏物語の世界展」のことと並行して記事を書きます。それぞれリンクを整理するまで見づらいと思います。ごめんなさい。💦)

 

旅行1日目

 ・東三条殿跡

 ・二条宮跡

 ・二条駿河屋の「亥の子餅」

 ・高松神明神社(高松殿)

 ・虎屋菓寮「亥の子餅」

 ・枇杷殿跡

 ・藤原定家 一条京極第跡

 ・ランチ

 ・清浄華院で法成寺境内推定地から出土した礎石を見学

 ・廬山寺(紫式部邸宅址)

 ・京都仙洞御所

 ・土御門第跡

  ┗ 【平安あれこれ】2024年11月16日、土御門第跡にて「望月の歌」を偲ぶ

 

旅行2日目

 ・上賀茂神社

 ・ランチ

 

旅行3日目

 ・京都産業大学ギャラリー 特別展「源氏物語の世界ーよむ・みる・あそぶー」

 ・風俗博物館

 ・ランチ

 

 

******おすすめの展覧会です******

京都産業大学ギャラリー

特別展「源氏物語の世界ーよむ・みる・あそぶー」  

 会期:10月21日(月)~11月30日(土)

 会場:京都産業大学ギャラリー  

(京都市下京区中堂寺命婦町1-10 むすびわざ館2階)

※入館料無料

 

 

【光る君へ】藤原道長による「望月の歌」、四納言による解釈メモ

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平安時代好きブロガー なぎ です。

大河ドラマ『光る君へ』は(いろいろと思うところはありますが)毎回楽しく視聴しています。

 

『光る君へ』第44回「望月の夜」(2024年11月17日放送)において、藤原道長が詠んだ有名な和歌「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたる事も無しと思へば」が披露されました。

 

スポニチの記事 「光る君へ」ネット反響“新解釈”道長「望月の歌」まひろへの返歌「虚しさ抱きながら」大石静氏語る裏側 [2024年11月24日 20:45 ]によると、「望月の歌」についてこのようににありました。

 

❝孤立していく中、「この夜だけはよい夜だと思いたい」という道長の歌の心は、まひろにだけは伝わっていた。

 「望月の歌」は、第36回「待ち望まれた日」(9月22日)、彰子が待望の皇子・敦成(あつひら)親王を産んだ時、まひろが道長の前で詠んだ「めずらしき 光さしそう 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」への返歌だったのだ。❞

 

 

『光る君へ』において、「望月の歌」はまひろへ向けた歌であったようです。

 

私は、二次会の宴で道長自身も参列者も酔っていた中、道長の本音(傲慢さ、喜び、達成感)が出た歌だろうと思っていました。

酔いの席とはいえ、やり過ぎ感があると道長も自覚していたからこそ、道長は日記『御堂関白記』には歌の詳細までは書かなかったのではないかと…。(想像です)

 

【↑この画像は、NHKの 大河ドラマ「光る君へ」コラボ企画「かなふみ」で作成】

 

 

『光る君へ』第45回「はばたき」(11月24日放送)では、藤原道長による「望月の歌」について四納言が談義していました。

字幕を見ながらセリフをメモに取ったので書き出しておきます。

 

源 俊賢「この世をば… 栄華を極めた今を謳い上げておられるのでありましょう。何もかも思いのままであると。」


藤原公任「今宵はまことによい夜であるな。…くらいの軽い気持ちではないのか?道長は皆の前でおごった歌を披露するような人となりではない。」


藤原行成「私もそう思います。月は后を表しますゆえ 3人の后は望月のように欠けていない よい夜だ ということだと思いました。」

藤原斉信「そうかな…。」

 

皆で唱和した「望月の歌」ではありますが、解釈がそれぞれ異なるのが印象的でした。

 

 

 

NHK2024年大河ドラマ 光る君へ ART BOOK   東京ニュース通信社 東京ニュース通信社

 

 

【ご挨拶】謹賀新年

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平安時代好きブロガー なぎ です

 

遅くなりましたが

 

あけましておめでとうございます!!

本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

当ブログ「晴れのち平安」をご覧くださりありがとうございます

みなさまにとりまして良い年になりますように

 

 

いつもはX(旧Twitter)にいます。

 なぎ(@kakitutei)https://twitter.com/kakitutei

 

 

 

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