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【平安あれこれ】わかりますか?日本各地の紫式部像

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

下の画像の①から⑥はすべて日本各地にある紫式部像です。

それぞれどこにある紫式部像なのかご存知でしょうか。

(正解は画像の下からどうぞ!)

 

①紫式部公園

  福井県越前市東千福町20ー369

 

紫式部は、父・藤原為時が越前守(現在の福井県北東部の長官)になった時に共に越前国へ下向し、越前国府があった武生(現在の福井県越前市)で1年余りを過ごしています。

これを記念して、広大な池や寝殿造の釣殿がある紫式部公園が造られました。

 

②廬山寺

  京都府京都市上京区北之辺町397

 

現在の廬山寺は、紫式部の曾祖父・藤原兼輔が建てた「堤第(つつみてい)」があった場所の一部であり、紫式部はこの地で過ごしたといいます。

廬山寺そのものは船岡山の南にあったものの豊臣秀吉の政策により現在地に移転。

1965年(昭和40年)、角田文衞博士によって廬山寺が紫式部邸宅址であると発表されました。

 

③京都府京都文化博物館

  京都府京都市中京区東片町623−1

 

 

④千本ゑんま堂 引接寺

  京都府京都市上京区千本通り鞍馬口下ル閻魔前町34

 

『源氏物語』(=作り話)を書いて人々の心を惑わせたことが罪深いため、紫式部は地獄に堕ちたという考え方が中世にありました。

そんな紫式部を成仏させるべく千本ゑんま堂には南北朝時代の紫式部供養塔があります。

 

⑤大本山 石山寺

  滋賀県大津市石山寺1-1-1

 

紫式部は石山寺参篭中に琵琶湖に映る十五夜の月を見て『源氏物語』を書き始めたという伝説があります。

平安時代は観音信仰が盛んであり石山寺もそのひとつとして多くの貴族が参詣しました。

『源氏物語』にも石山寺詣をした人物が登場。

 

⑥夢浮橋ひろば

  京都府宇治市宇治蓮華(宇治橋 西詰南側)

 

『源氏物語』五十四帖のうち最後の十帖は宇治十帖と呼ばれます。

宇治橋を背景にたたずむ紫式部像の姿は、「橋姫」で始まり「夢浮橋」で終わる宇治十帖を象徴するかのようです。

 

 

オススメ本

紫式部と源氏物語 京都平安地図本   鳥越一朗 ユニプラン

 

体感スポットガイド 平安時代ツアー 紫式部と源氏物語 ゆかりの地をめぐる   紫野54 チーム月影 東京ニュース通信社

 

京都たのしい源氏物語さんぽ   朝日新聞出版

 

 

 


宇治・大津・京都へ行ってきました

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月、宇治・大津・京都へ行ってきました!

お天気に恵まれ楽しい3泊4日の旅となりました。

ぽつぽつ書いてはこの記事からリンクを貼ろうと思います。

よろしければおつきあいくださいませ。

 

旅行1日目

 ・【平安あれこれ】在原業平邸址に建つホテルギンモンド京都に宿泊

 ・【平安あれこれ】菟道稚郎子~『源氏物語』八の宮のモデル?~

 ・浮舟宮跡

 ・カフェ

 ・「光る君へ 宇治 大河ドラマ展」

 ・浄妙寺跡

 

旅行2日目

 ・逢坂の関記念公園、逢坂山の関跡

 ・逢坂山かねよ

 ・石山寺

 ・「光る君へ 大津 大河ドラマ館」

 

旅行3日目

 ・大津市歴史博物館

 ・ミシガン

 ・琵琶湖ホテル

 

旅行4日目

 ・晴明神社

 ・一条院跡

 ・京都市考古資料館

 ・風俗博物館

 ・龍谷ミュージアム

 

 

【平安あれこれ】在原業平邸址に建つ「ホテルギンモンド京都」に宿泊

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

宇治・大津・京都旅行での1泊目は

京都市中京区にあるホテルギンモンド京都に宿泊しました。

 

【ホテルギンモンド京都 入り口】

 

【ホテルギンモンド京都 外観 /写真左側の建物】

度々利用している居心地のよいホテルです

 

このホテルは、

かつて在原業平の邸宅があった場所に建っています。

【在原業平邸址碑・・・京都市中京区間之町通御池下る東側】

業平の邸宅は左京四坊三町にあったと伝わります

 

 

『伊勢物語』の主人公?

 在原業平

 

825年(天長2年)~880年(元慶4年)

 

平安時代初期の歌人。勅撰和歌集に約87入集。
六歌仙や三十六歌仙の一人。

父は、平城天皇の皇子・阿保親王。
母は、桓武天皇の皇女・伊都内親王。

2歳の時に父親王の計らいで、在原朝臣を名乗り、臣籍に下った。
880年(天慶4年)5月18日に従四位上右近衛権中将美濃守で56歳で卒した。

 

『伊勢物語』の主人公に目され、二条后藤原高子(清和天皇女御)・伊勢の斎宮恬子内親王(文徳天皇皇女)との恋の逸話で伝説的な業平像が築かれた。

 

『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりとも。

 

 

 『百人一首』で知られる歌

 

  ちはやぶる神代もきかず龍田川

   から紅に水くくるとは

        在原業平朝臣

 

 

 

【参考】

フィールドミュージアム・京都京都のいしぶみデータベース

角田文衞 監修/[財]古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典』本編上巻 角川学芸出版

 

 

 ホテルギンモンド京都

  京都市中京区御池通高倉西入ル亀甲屋町595

  https://gimmond.co.jp/

 

 

新版 伊勢物語 付現代語訳 (角川ソフィア文庫)   石田 穣二 KADOKAWA

 

伊勢物語 (【笠間文庫】原文&現代語訳シリーズ)   永井和子 笠間書院

 

新版 超訳百人一首 うた恋い。 1 (BRIDGE COMICS)   杉田圭 KADOKAWA

 

 

【平安あれこれ】菟道稚郎子(うじのわきいらつこ) ~『源氏物語』八の宮のモデル?~

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

京阪「三室戸」駅から徒歩約4分。

 

京都府宇治市にある

応神天皇皇太子 菟道稚郎子尊 宇治墓 を訪ねました。

 

【宇治墓・・・地図で上空から見ると前方後円墳のようです】

 

宇治墓の向かい側にある「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」ミュージアムの「歴史の間」に『菟道稚郎子伝説』の解説がありました。その文章を以下に引用します。

 

 菟道稚郎子伝説

 応神天皇の末子の菟道稚郎子は、父の寵愛を受け、当時最新の学問を学び、皇太子となりました。

 応神天皇の没後、

 即位を企てた異母兄の大山守命は稚郎子を討とうとし、宇治川での戦いで亡くなります。

 三年後、稚郎子は異母兄で後の仁徳天皇の大鷦鷯尊に皇位を譲るため、自ら命を絶ったと伝えられています。

 

この菟道稚郎子は『源氏物語』宇治十帖に登場する八の宮のモデルであるという説があるのだとか。

確かに部分的にイメージがかぶっているようにも思えます。

共通点(?)

 兄弟間での皇位継承争い  宇治に隠棲

 

ここを掘り下げると複雑になりそうなので、言及は避けます

 

菟道稚郎子は宇治上神社の祭神のひとりであり、宇治神社の祭神でもあります。

宇治の長い歴史を知る上で重要な人物なのですね。

 

 

『源氏物語』に登場する八の宮は、光源氏の異母弟。桐壺院の第八皇子。

宇治十帖のヒロインとなる大君・中の君・浮舟の父親。

朱雀帝の御代に弘徽殿大后たちの廃太子未遂事件に巻き込まれるものの、結局は八の宮が東宮になることはありませんでした。

(この時の東宮は即位してのちの冷泉帝になります。)

八の宮の北の方は中の君を産んで間もなく亡くなり、やがて京にある邸宅が焼亡。

宇治の山荘に移り住み、大君・中の君と暮らすのでした。

(そこに薫がやってきて…!?物語が動き始めます)

 

 

【参考】

秋山虔・室伏信助・編『源氏物語必携事典』角川書店 1998年

 

 

【平安あれこれ】浮舟宮(うきふねのみや)跡 ~宇治十帖のヒロイン、浮舟は神に~

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

菟道稚郎子尊 宇治墓に隣接する

「浮舟宮跡」碑を訪ねました。

 

【浮舟宮跡と刻まれた石碑】

以下、石碑に埋め込まれた宇治市による説明を引用します。

 

浮舟宮跡

 此処より東の旧道沿いに、菟道稚郎子皇子(うじのわきのいらつこのみこ)墓の陪塚(ばいちょう)に治定される小さな高まりがある。

 この辺り一帯にかつて浮舟宮(うきふねのみや)と呼ばれた古社があった。

 榎(えのき)の大木が茂り、浮舟の森とも呼ばれた。

 社の由来はつまびらかではないが『源氏物語』宇治十帖の悲劇のヒロイン浮舟の君を祀った社として、里人に親しまれていたという。

 江戸時代の中ごろに社が廃絶し、三室戸寺によって「浮舟之古蹟」碑が建てられた。

 明治に至り社跡は宮内庁により陪塚として整備され、石碑は近年の開発に伴い三室戸寺境内に移設されている。

 

       宇治市

 

『源氏物語』に登場する浮舟がこのあたりに祀られていたのですね。

 

旧道…奈良街道沿いの羽戸[波戸](はと)村にあったことから「波戸浮舟社」という神社であったのだとか。

元々は宇治川の水上交通の守護神が祀られていたのが、いつ頃からか浮舟を祀る社となり、あたりは「浮舟の杜」とも呼ばれていたといいます。

やがて度重なる宇治川の氾濫によって浮舟社の社殿を維持できず、江戸時代に社は取り払われます。

そして社の跡の目印として「浮舟之古蹟」と刻まれた石が置かれたとのこと。石は移転を重ね、現在は三室戸寺境内の最奥部、鐘楼の横に「浮舟之古蹟」碑があるのでした。

 

フィクションである『源氏物語』の登場人物のひとりですが、かつて浮舟は神として親しまれ、その社の跡は「浮舟宮跡」碑として現在に伝えられているのですね。

 

 

【参考】

源氏物語をよむ会 編『(改定版)源氏物語 宇治十帖の風土』宇治文化財愛護協会 1997年(1998年修正)

宇治市文化財愛護協会 編・発行『新 宇治の碑 路傍の語り部たち』 2014年

 

 

【宇治】京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

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平安時代好きブロガー なぎ です。

今回の記事は平安時代の話題をひとやすみ。

 

2024年5月の旅行でのこと。

菟道稚郎子尊 宇治墓「浮舟宮跡」碑を訪ねたのち

お向かいにある、お茶と宇治のまち交流館「茶づな」へ。

 

「茶づな」の中にあるレストラン「とにまる 茶づな本店」にて昼食をとりました。

 

【ハンバーグプレート】

 

ハンバーグにから揚げ、フライドポテト…大好きなものばかり。

お味噌汁にほっとしました。

抹茶の飴が添えられているのがまた嬉しい。

 

「茶づなミュージアム」や「茶づな」で開催中の「光る君へ 宇治 大河ドラマ展」を見た後、

再びレストラン「とにまる 茶づな本店」へ。

 

そう。宇治といえば抹茶スイーツを食べねば…!

 

【抹茶パフェ】

 

パフェは思っていたよりボリュームがあって嬉しい

 

店内から見える木々の緑がまぶしかったです。

ハンバーグプレートも抹茶パフェもとってもおいしゅうございました!

 

 

京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

 https://tonimaru.com/

 宇治市菟道丸山203-1  お茶と宇治のまち歴史公園茶づな内

 

 

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました!その壱(2024年5月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

お茶と宇治のまち歴史公園交流館「茶づな」2階で開催中の

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」を

見に行ってきました!

 

毎週楽しみに見ている大河ドラマ『光る君へ』のドラマ展とあって(ドラマ館ではなくドラマ展)、楽しみにしていました。

宇治の会場では、「大河ドラマ展示」と「宇治歴史展示」のふたつに大きく分かれています。

 

【衣裳展示】

実際に撮影に使用された衣裳だそうです。

 

【紫式部(まひろ)吉高由里子さんの衣裳 撮影使用品】

金糸雀(カナリア)色地染め

金茶色(きんちゃいろ)木の葉絞り風(きのはしぼりふう)柄染め麻小袿

 

【藤原道長 柄本佑さんの衣裳 撮影使用品 】

従五位闕腋袍(けってきほう)束帯(そくたい)

 

【等身大パネル(フォトスポット)】

 

特集パネルや登場人物紹介のほか、小道具の展示も。

 

【散楽で直秀粉する狐が持っている蝙蝠扇(かわほりおうぎ) 撮影使用品】

直秀、好きでした…!

亡くなってしまって直秀ロスになりましたよー

 

【倫子のサロンでまひろた初めて体験した偏つぎの札 複製品】

偏つぎは、漢字の偏と旁(つくり)を使った遊びです。

 

4Kシアターでの展示も椅子に座って興味深く拝見。

キャストやスタッフのインタビューを視聴できます。

 

 「光る君へ 宇治 大河ドラマ展レポ」は其の弐へ続きます

(大河ドラマ展の記事は全部で3つあります)

 

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました!其の弐(2024年5月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」を

見に行ってきました!

 

宇治の会場では前半が「大河ドラマ展示」後半が「宇治歴史展示」となっています。

「大河ドラマ展示」の様子は其の壱の記事で書きました

 

後半は「道長が築いた宇治は、どんな町だったのか?」に迫る展示の数々、とても興味深くおもしろかったです。

 

【平安時代の宇治の俯瞰図】

 

藤原道長、宇治を見る

奈良と京都を結ぶ宇治 藤原道長の頃の宇治(想像図)

 

藤原道長、宇治に遊ぶ:宇治での日々

道長の暮らした屋敷(土御門殿・宇治殿・東三条殿) 宇治での日々

 

藤原道長、宇治に遊ぶ:祈りの世界

道長の祈り 道長が眠る場所(浄妙寺跡) 道長が建立したふたつの寺院

 

藤原道長、宇治に遊ぶ:平安時代から受け継がれるもの

藤原氏に縁をもつ文化財 今の風景に平安時代の宇治を見る

 

藤原道長、宇治に遊ぶ:文学に描かれる宇治の姿

源氏物語「宇治十帖」 宇治の橋姫

 

 

パネルでの解説がどれもわかりやすいので藤原道長と宇治の関わりが知りたい方にオススメします!

(できることなら冊子にして販売して欲しい)

 

 

上記のパネルのうち、「道長が眠る場所(浄妙寺跡)」より「道長の墓」の部分を…。

道長が眠る場所について気になっています

 

 

 「光る君へ 宇治 大河ドラマ展」レポの続きは、其の参にて!

 


「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました!其の参(2024年5月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」を見てきました!

大河ドラマ展のレポは 其の壱其の弐 と続き、其の参(この記事)でラストです。

 

最後は「平安時代の暮らしを体感する」

【十二単を体験しよう】

十二単(女房装束)の紹介パネルや実際にどんな重さだったかを体験。

 

【十二単の重さは…?体験コーナー】※試着はできません。

どこをどう持ったらいいのか(触ったらいいのか)わからず…

たぶんきっと重いはず。

 

【フォトスポット「私は十二単が似合う?」】

顔はめパネルで記念撮影ができます

パネルに使われた十二単はとても上質なものだと思います。

 

【平安時代の香りを体感しよう】

様々な香木の展示、薫物(練香)や火取の展示も。

 

【薫物(練香)の香りを体験!】

ふたを開けると、薫物(練香)の香りがふわっと…いいかおり

 

会場の出口付近では、『光る君へ』キャストの直筆サインとひと言メッセージが展示されていたのでした。

 

 

そんなこんなで宇治の「大河ドラマ展」、楽しかったです!!

 

 

光る君へ 宇治 大河ドラマ展 ~都のたつみ 道長が築いたまち~

 公式ホームページ  https://uji-dramaten.jp/

 会期:令和6年 3月11日(月)~令和7年 1月13日(月・祝)

 会場:お茶と宇治のまち交流館「茶づな」2階

 (京都府宇治市菟道丸山203ー1)

 

 

【平安あれこれ】浄妙寺~藤原道長が一族を弔うために建立~

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

茶づなで開催中の「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」を見た後、

宇治市の北部、木幡に藤原道長が建立した浄妙寺(じょうみょうじ)の跡を訪ねました。

 

【「この附近 藤原道長建立浄妙寺跡」木碑と説明板・・・宇治市立木幡小学校の西門横にあります】

 

以下、説明板の文章

 

  浄妙寺跡

 木幡は、初の関白となった藤原基経が藤原氏の墓所と定めたとされます。浄妙寺は、寛弘2年(1005)藤原道長によって藤原氏の一族を弔うために建てられた寺です。道長は若いころ父 兼家に連れられ木幡を訪れた際、その荒廃に心を痛め、もし高位に上がったら一堂を建て三昧を修めようと思ったといわれます。

 創建当初の浄妙寺の本堂は法華三昧堂で、2年後の寛弘4年(1007)に多宝塔が建てられます。そのほかに鐘楼、僧房、南門、西門などがありました。発掘調査では法華三昧堂、南限の築地塀跡、西門跡が発見されています。

 浄妙寺は、平等院と並び藤原氏にとって重要な寺でしたが、鎌倉時代に入ると浄妙寺の別当(大きなお寺等を管理する役所の長官)が藤原氏から聖護院宮に移り、徐々に衰退していきます。寛正3年(1462)一揆の放火により焼失し、廃絶したものと考えられています。

 

 令和3年9月

  一般財団法人 宇治市文化財愛護協会

 

※なぎ注:漢数字を算用数字に書き換えました

 

 

浄妙寺は、藤原道長が藤原氏の菩提を弔うために宇治の木幡に建立した寺院。木幡寺とも。

寺地の選定は安倍晴明など、造仏は康尚、扁額と鐘銘の書は藤原行成、願文は大江匡房が担っています。

 

寛弘2年(1005)、浄妙寺の本堂である法華三昧堂が完成。

三昧堂供養当日は国家規模で行われました。参列した上達部は18人、参会した僧は100人以上。

 

寛弘4年(1007)には多宝塔供養が催されました。

 

浄妙寺を建立以降、道長は宇治別業(現在の平等院)へ行く途中必ず参詣したそうです。

 

万寿4年(1027)12月4日、道長は法成寺阿弥陀堂で亡くなります。62歳でした。

5日に入棺、7日夜に鳥戸野で荼毘に付されます。収骨された骨は壺に入れられ家司や僧によって木幡へ運ばれ埋葬されました。

当時の墓は、直径数メートルの塚に骨壺を収めたもので、周囲を柵で囲っていたとのこと。

 

現在、藤原道長の墓は特定されていませんが木幡小学校東側の丘陵部にあたるだろうといいます。

 

 

私が木幡を歩いた日は日差しが強く暑かったものの、木々の新緑が綺麗で空は晴れて心地よい日でした。

この近くで藤原道長は眠っていると思うと感慨深かったです。

 

【木幡小学校正門横にある「この附近 藤原道長建立浄妙寺跡」の木碑】

 

ちなみに、

宇治市木幡の茶畑から出土したと伝わる青磁水注 越州窯(せいじすいちゅう えっしゅうよう)[京都国立博物館蔵]は道長の骨壺であると指摘する考えもあるもよう…。(リンク先は京都国立博物館公式ホームページ内のページです)

高21.8cm 口径9.5cm 底径8.0cm、落ち着いた朽葉色?オリーブ色?です。

 

 

【参考】

宇治市公式ホームページ

 >浄妙寺発掘調査説明会を開催しました

 >浄妙寺跡発掘調査説明会を開催しました(平成25年7月13日)

倉本一宏『紫式部と藤原道長』講談社現代新書 2023年

倉本一宏『藤原道長の権力と欲望「御堂関白記」を読む』文春新書 2013年

大津透・池田尚隆 編『藤原道長事典 御堂関白記がからみる貴族社会』思文閣出版 2017年

角田文衞 監修/(財)古代学協会・古代学研究所 編『平安時代史事典CD-ROM版』角川学芸出版 2006年

「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」説明板 2024年

 

紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)   倉本一宏 講談社

 

藤原道長事典―御堂関白記からみる貴族社会―   大津 透 思文閣出版

 

 

【大津】逢坂山 かねよ レストラン「きんし丼」

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

今回の記事は平安時代の話題をひとやすみ。

 

2024年5月の旅行でのこと。

逢坂山の関跡や逢坂の関記念公園を訪ねた後、

逢坂山 かねよ レストランで昼食をとりました。

 

【上きんし丼】

上きんし丼をいただきました。

お吸い物は「うなぎの肝すい」または「湯葉」を選ぶことができ、私は湯葉でお願いしました。

 

すごいボリューム!!

鰻まむしの上にでっぷりとしただし巻きたまごが乗っています。
金糸たまごでもなくう巻きでもないので、ひらがなで「きんし丼」。

鰻+だし巻きたまごは最高の組み合わせでとてもおいしかったです

また食べたい…!

 

長らくの間、かねよさんで鰻を食べたいと思っていたのでようやく叶いました。

だし巻たまごだけでも食べたい…!

 

【逢坂山かねよ 顔出しパネル】

 

【鯉のぼり?と思いきや、うなぎのぼり】

 

逢坂山 かねよ レストラン

 https://www.kaneyo.in/index.html

 滋賀県大津市大谷町大谷町22−13

 

※逢坂山 かねよ本店(滋賀県大津市大谷町23−15)はレストランの向かい側にあります。

 

 

【平安あれこれ】逢坂の関記念公園 ~平安京の出入り口~

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

 

滋賀県大津市の石山寺を参詣する前に

逢坂山関址碑と逢坂の関記念公園を久しぶりに訪ねました。

京阪 京津線「大谷」駅から徒歩約3分の場所にあります。

 

【逢坂山関址 記念碑】

逢坂関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の境にあった関所。

平安時代には貴族女性も逢坂関を通って、石山寺へ参詣していました。

逢坂山関址を示す記念碑はあるものの、逢坂山は江戸時代に大きく掘り下げられているため、かつての関所の位置はわからないのだとか。(この記念碑よりは大津市の市街地側にあったもよう)

 

【逢坂の関記念公園】

2009年の公園完成当時よりは古びた印象。

 

逢坂の関記念公園に設置されている案内板より一部を引用します

 

逢坂の関と文学

 

●源氏物語

「関屋」の巻

 常陸介と共に東国に下っていた空蝉と石山詣の途中の光源氏が再会する非常に印象的な場面が描かれています。

 

「賢木」の巻

 斎宮下向の日、思いを募らせた光源氏が、娘と共に伊勢へ下る六条御息所に歌を贈ります。それに対する御息所の返歌 「またの日 関のあなたよりぞ御返しある」(「関」とは逢坂の関)

 

●その他

『枕草子』の中にも逢坂の関についての記述があります。

 

 

【逢坂の関記念公園には、逢坂関を詠った歌の碑が三基並んでいます】

それぞれ『百人一首』でもおなじみの歌ですね!

 

【蝉丸の歌碑】

 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関

 

【三条右大臣の歌碑】

 名にしおはば逢坂山のさねかずら 人にしられてくるよしもがな

 

※三条右大臣=藤原定方のこと

ちなみに、紫式部は藤原定方の血をひいています。

 

清少納言の歌碑】

 夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ

 

清少納言は『枕草子』108段に「関は 逢坂 須磨の関 鈴鹿の関 くき田の関 白河の関 衣の関。」とまず最初に逢坂関を挙げています。

 

【国道1号線 東側・・・滋賀県大津市市街地へ】

 

【国道1号線 西側・・・京都府京都市方面へ】

 

今も昔も人々の往来を見守ってきた山です。

 

逢坂山 かねよ レストランで「きんし丼」をいただいたのち、いよいよ石山寺へ向かいます

 

 

【JR石山駅構内、セブンイレブン前にて】

 

 

新訂 枕草子 上 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)   清少納言 KADOKAWA

 

 

 

【旅行記INDEX】宇治・大津・京都へ行ってきました(2024年5月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月、宇治・大津・京都へ行ってきました!

お天気に恵まれ楽しい3泊4日の旅となりました。

ぽつぽつ書いてはこの記事からリンクを貼ろうと思います。

よろしければおつきあいくださいませ。

 

旅行1日目

 ・【平安あれこれ】在原業平邸址に建つホテルギンモンド京都に宿泊

 ・【平安あれこれ】菟道稚郎子~『源氏物語』八の宮のモデル?~

 ・【平安あれこれ】浮舟宮(うきふねのみや)跡~源氏物語のヒロイン、浮舟は神に~

 ・【宇治】京都宇治 京あめ とにまる 茶づな本店

 ・「光る君へ 宇治 大河ドラマ展~都のたつみ藤原道長が築いたまち~」行ってきました!其の壱其の弐其の参

 ・【平安あれこれ】浄妙寺~藤原道長が一族を弔うために建立~

 

旅行2日目

 ・【平安あれこれ】逢坂の関記念公園~平安京の出入り口~

 ・【大津】逢坂山 かねよ レストラン「きんし丼」

 ・石山寺

 ・「光る君へ 大津 大河ドラマ館」

 

旅行3日目

 ・大津市歴史博物館

 ・ミシガン

 ・琵琶湖ホテル

 

旅行4日目

 ・晴明神社

 ・一条院跡

 ・京都市考古資料館

 ・風俗博物館

 ・龍谷ミュージアム

 

 

【平安あれこれ】石山寺~貴族たちに慕われた観音さま~

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

 

2024年 5月のこと。

滋賀県大津市にある石山寺をお詣りしました。

【東大門】

平安時代、貴族たちによる石山詣が盛んでした。

京から逢坂の関を越え、琵琶湖の打出浜から船に乗り瀬田川を下って石山寺門前まで来たといいます。

そしてお堂に籠って祈願し夢のなかのお告げを待ったのだとか。

(大河ドラマ『光る君へ』でも石山詣や参籠の様子が描かれていましたよね!)

 

『枕草子』第196段「寺は」において「石山」と挙げられています。

また『蜻蛉日記』『源氏物語』『更級日記』など石山詣を描いた作品があります。

 

【珪灰石(けいかいせき)】

階段を登って、この珪灰石を見上げると圧倒されます。まさに石の山の上に建つお寺。

石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用によって変質したものだとか。

「石山寺」という名はこの「珪灰石」に由来します。

 

【本堂横の階段から本堂を見上げた様子】

新緑がとても綺麗

本堂の内陣もお参りしました。

(内陣は滋賀県最古の木造建築であり国宝に指定されています。)

本尊は如意輪観音菩薩。

観音さまをはじめ様々な仏像に手を合わせ厳かな気持ちに…。

 

【石山寺源氏間紫式部影讃】

紫式部と紫式部が使用としたと伝わる硯、天台四門と和歌が刷られたもの。

「石山寺源氏間紫式部影讃」は、江戸時代以前より石山寺で頒布されていたと推測されているのだそう。

大河ドラマ「光る君へ」放映を記念して「石山寺源氏間紫式部影讃」復刻版が作成されました。

本堂でいただくことができます。

 

 

【紫式部開運おみくじ 招福お守入】

ひいてみたところ「中吉」でした!招福お守りは、紫色の糸が結ばれた五円玉でした。

おみくじには『源氏物語』に登場する和歌も書かれていたのでした。(『源氏物語』のほか、『紫式部集』や『紫式部日記』の和歌もあったりするのでしょうか)

 

【本堂「紫式部 源氏の間」】

この連子窓の奥に紫式部人形がおわします。

紫式部は石山寺参篭中、琵琶湖に映る月を見た時に『源氏物語』の着想を得て「須磨」巻を書き始めたと伝わります。

 

【「源氏の間」の紫式部人形】

2023年12月に修繕のため本堂を離れていた紫式部の人形は2024年3月に戻ってこられました。

新調された十二単のかさねの色目は「捩り紅葉」。

70年ぶりの修繕だったとのこと。美しいお姿になりましたねー!!

 

【紫式部供養塔・松尾芭蕉 句碑】

 

【多宝塔】

源頼朝の寄進により建立されたと伝わります。

本尊は大日如来像。とても素敵なのでぜひ覗いて拝んで欲しいです!

 

【月見亭】

後白河上皇の行幸に際して建てられたといいます。この付近からは瀬田川を望めます。

 

 

豊浄殿では、2024年 春季 石山寺と紫式部展「紫式部をめぐる人々」が開催されており鑑賞。

紫式部の肖像画や源氏絵などを展示を楽しみました。

(豊浄殿では毎年 春・夏・秋に石山寺の歴史や文化、紫式部や『源氏物語』にちなむ展示が行われています)

 

 

【紫式部像】

境内の奥に広がる源氏苑に紫式部像はあります。

 

私は体力がないのでこのあたりを歩いていた頃はすでに疲れていたのですが、やはり紫式部像を見ることができて嬉しかったです!

 

この後、石山寺境内で開催中の『光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館』を見にいったのでした。

 

石山寺

 https://www.ishiyamadera.or.jp/

 滋賀県大津市石山寺1-1-1

 

 

一時間でわかる紫式部と近江   京樂 真帆子 サンライズ出版

 

新訂 枕草子 下 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)   清少納言 KADOKAWA

 

 

 

 

「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」行ってきました!

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

石山寺をお詣りした後、境内にある明王院にて開催中の

「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」を見てきました!

 

大河ドラマ「光る君へ」のテーマを掘り下げる映像やパネル、サイン色紙のほか、ドラマに登場する衣装や小道具などが展示されています。

ドラマ初期の頃のものが展示されており、懐かしく思いました。

※展示替えあり。

 

【紫式部(まひろ)[吉高由里子さん]の衣裳/第4回「五節の舞姫」】

まひろが「五節の舞姫」のひとりとして選ばれて、舞を披露した時の装いです。

 

衵扇(あこめおうぎ)・裳(も)・唐衣(からぎぬ)が展示されていました。

 

【裳】

白地菱形地(しろじひしがたじ)に下り藤染め裳(さがりふじそめ も)

長くひいている姿が美しいです

裳についている短いひらひらした部分は、『光る君へ』公式ホームページの「をしえて!佐多芳彦さん ~美しくかさねて!「女性の衣装」女房装束 編によると頒幅(あがちの)なのだそう。頒幅といえば左右についている印象ですがこちらでは上についているのですね。

あちこちから見て裳を観察したのでした。

 

【唐衣】

葡萄色地(えびいろじ)に向蝶柄織(むかいちょうがらおり)唐衣(からぎぬ)

美しいです

 

【フォトスポット 等身大パネル】

ききょう(清少納言)とまひろ(紫式部)のパネルが並んでいます。

それぞれファーストサマーウイカさんと吉高由里子さんのサイン入り!

ここで記念撮影ができます。

 

【まひろの部屋と、愛用の書道具たち/第2回「めぐりあい」ほか】

 

【文机の上に置かれているのは曽祖父・藤原兼輔の歌の写し】

「人の親の 心や闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」

(「子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものである」という意味)説明パネルより

 

この兼輔の有名な歌は『源氏物語』の執筆にも影響を与えました。

 

【まひろが書き写した後撰和歌集/第2回「めぐりあい」】

紫式部の曾祖父・藤原兼輔の歌もあります。

 

【まひろとさわが石山詣で身につけた懸帯と竹水筒/第15回「おごれるものたち」】

まひろとさわの石山詣を微笑ましく思っていたので展示されていて嬉しかったです。

着用していた赤い帯は「懸帯(かけおび)」といい、お参りに行く女性たちが心身を清める物忌の印として身につけたもの、とのこと。

 

 

「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」は規模は小さいながらも楽しく見ることができました!

 

(ドラマでの石山寺のセットは、「石山寺縁起絵巻」で見られた堂内や珪灰石(けいかいせき)のゴツゴツとした感じが表わされていて素敵でした。あのセットを実際に見ることができたら嬉しいのですが…やはり難しいでしょうか…)

 

同時開催されていた「源氏物語 恋するもののあはれ展」は体調不良によりあいにく見ておりません。ごめんなさい

 

 

光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館

[同時開催]源氏物語 恋するもののあはれ展

 https://otsu-murasakishikibu.jp/exhibition/taiga.html

 会期:2024年 1月29日(月)〜2025年 1月31日(金)

 会場:石山寺境内 明王院・明王院

 (滋賀県大津市石山寺1−1−1)

 

 

*追記*

ちなみに石山寺の境内にある自動販売機は紫式部さんでした。

 

 


【平安あれこれ】Cafe Restaurant Inti(インティ)で「紫式部スペシャルランチ」

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

大津市歴史博物館に併設するCafe Restaurant Inti(カフェ・レストラン インティ)にて「紫式部スペシャルランチ」をいただきました。

大河ドラマ「光る君へ」を意識してつくられたプレートです。

 

真上から見るとこんな感じ。

近江牛を使ったコロッケ、ジャンボ海老フライ、ソースやサラダは紫式部のイメージカラーの赤紫や紫色をが彩りに添えられています。

小鉢にスープも嬉しいですね。好きなもの満載!

 

そして、近江牛をつかったコロッケには紫式部イメージ(後ろ姿)の旗がさしてあるのでした。

 

食後にはコーヒーとデザートをいただきました。

(プラス200円で「紫式部スペシャルランチ」にプチデザートを付けることができました)

とってもおいしかったです!!

 

※「紫式部スペシャルランチ」は1日7食限定だそうですよ。

 

店内にIntiの紫式部プレミアムコーヒーのドリップバッグ(2種類5パック入り)があったので購入。

 

IntiのInstagram(@inti_0401)によると

『ほほえむ君』はエルサルバドルを主としたブレンドで上品な酸味の中に僅かな香ばしさが感じられるブレンド、

『ひらめく君』はコロンビアを主としたブレンドでフルーティな甘い香りの中に程良い苦みが感じられるブレンド

とのこと。

 

『ほほえむ君』に書かれているのは『源氏物語』胡蝶巻において舟楽の場面で秋好中宮の女房が詠んだ歌。

 

 春の日のうららにさして行く舟は

   棹のしづくも花ぞ散りける

 

[訳:春の日のうららかな中を漕いで行く舟は 棹のしずくも花となって散ります]

 

 

『ひらめく君』に書かれているのは『源氏物語』明石巻において光源氏が明石の君を初めて訪ねる前に紫の上を想って詠んだ歌。

 

 秋の夜の月毛の駒よわが恋ふる

  雲居を掛けれ時の間も見む

 

[訳:秋の夜の月毛の駒よ、わが恋する都へ天翔っておくれ 束の間でもあの人に会いたいので]

 

【訳は、渋谷栄一 氏のwebサイト 『源氏物語の世界』より引用】

 

パッケージのイラストも可愛く、和歌のチョイスも素敵ですよね。

どちらのコーヒーもおいしくいただきました!

また買えないかしら…。

 

 

Cafe Restaurant Inti(カフェ レストラン インティ)

 滋賀県大津市御陵町2番3号 市民文化会館内

 

大津市歴史博物館 企画展「紫式部と祈りの世界」

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

大津市歴史博物館において4月27日(土)~5月19日(日)まで開催されていた企画展「紫式部と祈りの世界」を鑑賞しました。

(「紫式部と祈りの世界」を見たいがために今回の旅程を組んだのでした)

 

【企画展「紫式部と祈りの世界」チラシ】

 

<主な展示作品>

・紙本著色紫式部聖像[室町時代/石山寺蔵]

  とても大きな紫式部の姿に圧倒されます。紫式部もまた信仰の対象でした。

 

・国宝 金銅藤原道長経筒 伴延助作[寛弘4(1007)/金峯神社蔵]

  藤原道長が金峯山に納めた経筒。願文、そして道長の名が刻まれています。

 

・国宝 宝相華文経箱[長元4(1031)/比叡山延暦寺]

  道長の娘、彰⼦が⾃ら書写した『法華経』を⽐叡⼭延暦寺の横川に奉納する際に納めた経箱。

  経箱に施された宝相華の文様がとても美しかったです

 

平安時代…紫式部が生きた時代に制作された仏像の展示もあり、それぞれ柔和なお顔とお姿。

大変見ごたえのある企画展でした!

 

展示解説パネルの内容がとても詳しく大津市歴史博物館公式ホームページ企画展「紫式部と祈りの世界」のページからダウンロード(PDF)できるのがありがたいです。

さらに道長の経筒や彰子の経箱について願文の現代語訳がパネル展示もされており、こちらも公式ホームページからダウンロードできるので理解の助けとなりました。

 

展示を見に行けてよかったな、としみじみ…。

私は信仰にまつわる展示に惹かれるようです。

 

 

【ワークシートに参加したので限定ステッカーをいただきました。私は彰子さまをチョイス】

 

 

さて、会場を出るとこんな撮影スポットが!

 

【なりきり仏(ふぉとけ)スポット。様々な持物(じもつ)が置かれています】

持物によって、それぞれのポーズができるのでした。

薬師如来のポーズ 聖観音菩薩のポーズ 十一面観音菩薩のポーズ 地蔵菩薩のポーズ

【薬師如来のポーズ、聖観音菩薩のポーズ】

 

【十一面観音菩薩のポーズ、地蔵菩薩のポーズ】

【「なりきり仏(ふぉとけ)スポット」に私も挑戦】

錫杖と水瓶を持って十一面観音菩薩のポーズ!(ショールは友達の私物です。)

こちらの十一面観音菩薩のポーズは奈良の長谷寺のものと同じだそうです。

長谷寺もまた平安時代の貴族による参詣が多かったお寺で、『源氏物語』では玉鬘がお詣りしていますね!

 

こうしたフォトスポットもおもしろいと思いました。

 

大津市歴史博物館

 https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/index.html

 滋賀県大津市御陵町2-2

 

 

大津市歴史博物館 特集展示「源氏物語と大津」

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

大津市歴史博物館に併設しているCafe Restaurant Inti で「紫式部スペシャルランチ」をいただいた後、

いよいよ特集展示「源氏物語と大津」を鑑賞。

 

【エントランスロビーの様子。大河ドラマ「光る君へ」のパネル紹介も。】

 

博物館のエントランスロビー[無料エリア]→常設展示室1階[有料エリア/常設展示室の中に特集展示「源氏物語と大津」があります]→2階企画展示室 企画展示「紫式部と祈りの世界」[常設展示観覧料で鑑賞]と流れるように見てまわれたのでした。

 

特集展示「源氏物語と大津」

紫式部の人物像や『源氏物語』、その執筆場所と伝わる石山寺、大津市内の紫式部や源氏物語ゆかりの地などの展示を楽しみました。

紫式部を描いた絵や『源氏絵』の数々に惹かれます。

 

そして、融神社蔵の源融像の懸仏(かけぼとけ)や大きな獅子・狛犬も展示されていてうっとり。

ずいぶん前に京都定期観光バスで源融(みなもとのとおる)を祀る融神社をお参りに行ったことがあったのですが、もううろ覚えです。木々に囲まれた厳かな神社でした。

源融は平安前期に実在した人物で、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりと言われています。

 

展示室やロビーでも紹介されていましたが、大津市内には紫式部や源氏物語ゆかりの地が複数あります。

「源氏物語と大津」の図録において、今回の展示に関連する場所として紹介されていたのは以下の14ヶ所。

融神社 満月寺 比叡山延暦寺 唐崎神社 園城寺(三井寺) 打出浜 長安寺 関蝉丸神社 上社 関蝉丸神社 下社 逢坂関(推定地) 月心寺 石山寺 岩間山正法寺(岩間寺) 近江国府跡

 

前日に京阪「大谷」駅近くにある逢坂の関記念公園と逢坂山関址碑を訪ねましたが、図録での逢坂関(推定地)は逢坂一丁目とのこと。このあたりも歩いてみたいものです。

(前日は逢坂の関記念公園を訪ねたのち石山寺を参詣しました。)

 

先に展示を見てから、ゆっくりエントランスロビー[無料エリア]を楽しみました。

【再現された「源氏之間」】

エントランスロビーには、紫式部が『源氏物語』執筆のために参籠したとされる石山寺本堂の「源氏之間」が再現!

 

【「源氏之間」の中には紙や筆、硯が置かれた文机も。畳は繧繝縁。】

靴を脱いで「源氏之間」の中に入り、写真撮影を楽しめるフォトスポットになっているのでした。

 

「源氏之間」の文机の上には、紫式部が『源氏物語』を執筆する時に使用したと伝わる硯のレプリカが!!

右上に牛が彫られており、左上には鯉が彫られています。

これは牛=薄い、鯉=濃い と磨った墨の濃淡を使い分けるためなのだとか。

 

【「源氏之間」にてまじめに(?)筆をとるわたくし。撮影:友人】

 

エントランスには「源氏之間」のほか

平安時代の豆知識コーナー、『源氏物語』デジタル絵巻、デジタルコンテンツ「四季之間」といったコーナーも。

 

【体験用の衣裳】

博物館見学と合わせて「源氏之間」で模擬十二単を着装する「紫式部・平安貴族なりきり体験」が開催中だそうです。

申し込み・問い合わせは、びわ湖大津観光協会へ。

びわ湖大津トラベルガイド大津市歴史博物館【源氏物語と大津】紫式部・平安貴族なりきり体験 

 

 

【特集展示「源氏物語と大津」図録。500円】

 

特集展示「源氏物語と大津」は、2024年 1月10日(水)~2025年 2月 2日(日)までの開催。

展示品は6期に分けて展示替えが行われます。

 

詳しくは公式ホームページをどうぞ!

 

大津市歴史博物館

 https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/index.html

 滋賀県大津市御陵町2-2

 

 

一時間でわかる紫式部と近江   京樂 真帆子 サンライズ出版

 

 

 

琵琶湖の南を周遊「ミシガンクルーズ」 ~紫式部も見た山並みと空と~

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年5月のこと。

滋賀県といえば…そう!琵琶湖

琵琶湖とそこから見える景色、湖上を吹く風を感じたい…

ということで、大津港から出て南湖を周遊する外輪船「ミシガン」に乗りました。

かねてより「ミシガン」に乗るのに憧れていたので、ようやく叶いました。

(内装もとっても素敵でした!)

 

【大津港に停泊している「ミシガン」】

 

 

996年、紫式部は父の任国である越前[現在の福井県北東部]へ向かう際、琵琶湖の「打出浜(うちではま・うちでのはま・うちいでのはま)」から船に乗ったといわれています。

また、平安時代の貴族は石山詣をする際、「打出浜」から舟に乗り瀬田川を下って石山寺へ向かったとか。

 

『枕草子』193段では

 

 浜は うど浜 なが浜 ふきあげの浜 うちいでの浜 もろよせの浜 千さとの浜、ひろう思ひやらる。

 

と、「打出浜」が挙げられています。

 

【本文は角川ソフィア文庫『新訂 枕草子 下 現代語訳付き』(清少納言 著/河添房江・津島知明 訳注/KADOKAWA)より引用】

 

現在の打出浜は埋め立て地を中心としていますが、古代の「打出浜」はもっと南側にあったのだとか。

そんな「打出浜」からほど近い大津港からミシガンは出航します。

 

大津の街並みは時代とともに姿を変えても、琵琶湖から見える山の稜線はあまり変わっていないはず。

 

【船上からの景色。湖面と山並みと。紫式部もこの稜線を眺めたのでしょうか】

 

【4階ミシガンスカイデッキにて。思っていたより風が強くてびっくり】

 

【遠くに琵琶湖大橋が!(ズーム撮影)】

琵琶湖の最も狭い部分には琵琶湖大橋は架かっていて、この橋より北側部分を北湖、南側部分を南湖と呼ぶのだそう。

 

【写真右奥は比叡山でしょうか】

 

【矢印のあたりが唐崎神社ではないかと】

 

【唐崎神社あたりをズーム撮影】

写真がぼけていて判然としませんが、湖岸あたりに松の木が赤い柵に囲まれているのが見えます。

唐崎は「辛崎」「韓崎」「可楽崎」などとも記された近江国の歌枕。

「厄」や「穢れ」を祓い清める「七瀬祓(ななせのはらえ)」のうちの一ヶ所。

 

『源氏物語』少女巻において、五節の舞姫のひとりだった近江守・良清の娘は辛崎の祓(からさきのはらえ)をしています。

 

【トリックアートのフォトスポット。琵琶湖が浮いて見えます!】

 

【写真中央に見えるのは「近江富士」として親しまれている三上山かしら?】

 

【びわ湖ソーダとミシガンポテト】

 

【近江大橋(ズーム撮影)】

 

【写真中央に見えるのが滋賀県立琵琶湖文化館。現在の打出浜あたり。】

 

 

船内では、ミシガンパーサーのみなさまによる観光案内やライブも楽しかったです!

 

 

機会をつくってまた「ミシガンクルーズ」に乗りたいですね。

びわ湖にある4つの島を1日で全制覇するという「ぐるっとびわ湖島めぐり」にも憧れます!

 

 

【参考】

鈴木一雄 監修/針本正行 編『源氏物語の鑑賞と基礎知識 No,27 少女』至文堂 2003年

秋山虔・室伏信助 編『源氏物語必携事典』角川書店 1998年

 

 

琵琶湖汽船

 https://www.biwakokisen.co.jp/

 滋賀県大津市浜大津5-1-1

 

 

新訂 枕草子 下 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)   清少納言 KADOKAWA

 

 

【平安あれこれ】大河ドラマ「光る君へ」に登場した さわ のこと

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

大河ドラマ「光る君へ」第24回 忘れえぬ人[2024年6月16日放送]において、まひろ(紫式部)の友達・さわ が肥前国で亡くなったことがまひろ宛ての手紙でわかりました。

声と手紙だけで登場したさわ(野村麻純さん)の声が切なかったです。

 

肥前にいるさわが越前にいるまひろへ詠んだ歌

 

 ゆきめぐり逢ふを松浦の鏡には

  誰をかけつつ祈るとか知る

 

[訳:行き巡り逢うのを待つという松浦の鏡の神は、誰のことを心にかけつつ祈っていると知っているのでしょう。まひろさんのことを思っているのですよ。]

 

松浦(まつら)の鏡の神とは、現在の佐賀県唐津市にある鏡神社のこと。

 

さわは、まひろに再会したいと強く願っていました。

けれども京へ帰ることも叶わず肥前国で亡くなってしまいました。

 

実際に、紫式部には肥前国に下った友達がいたこと・その友達と思われる人物が京に戻ることなく亡くなっていること、

これらは紫式部の家集『紫式部集』の詞書や歌からわかっていることです。

 

【鏡神社 一ノ宮】

 

「光る君へ」では登場しませんでしたが、紫式部はこんな歌を詠んでいます。

 

 あひ見むと思ふ心は松浦なる

  鏡の神や空に見るらむ

 

[訳:あなたに逢いたいと思う私の心は、あなたが住む肥前の松浦の鏡の神が空から見てくださっていることでしょう。]

 

この歌への返歌が、初めにご紹介したさわ(紫式部の友達)の歌なのでした。

共通して出てくるのが「松浦なる 鏡の神」「松浦の 鏡」と詠まれた鏡神社です。

 

紫式部は越前国に住み、紫式部の友達は肥前国に住んでいました。

彼女たちはそれぞれ遠く離れて暮らしていても松浦にある鏡の神を介して再会を願った。

手紙のやりとりにはかなりの日数を要したことでしょう。

それでも『紫式部集』を通じてふたりの歌は1000年以上残り、大河ドラマ「光る君へ」で友達が詠んだ歌は世に出ました。

すごいことだと思うのです!

 

当時、国司になった父や夫の赴任にともない京を離れた多くの女性もまた、京へ無事に帰りたい・友達に再会したい…いろいろな思いがあったでしょうね。

無事に帰京できた人もいれば、京から離れた地で病気やケガなどで亡くなった人もいたことでしょう。

 

彼女の場合、紫式部の友達だったからこそ『紫式部集』に歌が残されました。

『紫式部集』は紫式部が晩年になってからまとめた家集だといわれています。(少なくとも前半はそうだろうと。)


紫式部にとって晩年を迎えるまで彼女との交流が思い出深く、また大事な歌だったからこそ『紫式部集』に入れたのだろうと思われます。

それにより彼女の存在は現在まで知られることになりました。

 

平安京で生まれ名前が残ることもなく肥前で亡くなったひとりの女性が、こうして大河ドラマに脚色されつつも「さわ」という名前を与えられ登場したことに、どこか救いを感じます。

(あの世でご本人は、私はあんなじゃなかったわ!と怒っているかもしれませんが…笑)

 

 

NHK大河ドラマ「光る君へ」公式ホームページ

 > (24)忘れえぬ人

 > 【「光る君へ」人物紹介】さわ ◆ 野村 麻純

 

 

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