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【京都】 時雨殿にて講演会「紫式部と女流歌人たち」(講師:吉海直人先生)

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 私のささやかな日常。京都・名古屋旅行編。

12月3日(木)、
小倉百人一首殿堂『時雨殿』にて行われた講演会
「紫式部と女流歌人たち」を拝聴。

講師は、同志社女子大学教授で
時雨殿館長でいらっしゃいます吉海直人先生です。


ご講演中の私のメモより。※聞き違いや勘違いがあればごめんなさい。

・『百人一首』において右大将道綱母の歌は『蜻蛉日記』から、清少納言の歌は『枕草子』から撰ばれているが、紫式部の和歌は『源氏物語』の作中歌から撰ばれていない。
 ⇒『源氏物語』はフィクションなので撰ばれなかった。

・紫式部の歌は“雲がくれ”という語が含まれていたことから「めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに…」が撰ばれた。
 ⇒『源氏物語』に<雲隠>という帖がある。また、<夕顔>などに“雲隠れ”という語も登場。

・歌人としての評価よりも、『源氏物語』の作者としての紫式部の評価が上がった。

・のちに『源氏物語』に読まれている言葉や情景が和歌に詠まれるようになる。
 ⇒歌を詠む勉強のために『源氏物語』を男性が読む。

・藤原定家(と息子・為家)による『百人一首』と『源氏物語青表紙本』は嵯峨野で生まれた!

・藤原俊成の妻で定家の母=美福門院加賀、為家の妻=阿仏尼はそれぞれ『源氏物語』の朗読が上手かった。
 ⇒『源氏物語』を阿仏尼が朗読し、為家が講義することも。

・「俊成―定家―為家」、「美福門院加賀―阿仏尼」・・・男性側の視点と女性側の視点で『源氏物語』に親しみお互いに影響し合ったか?




後半は、紫式部の描かれ方について述べられていました。

<レジュメより>

◎紫式部の三パターン
1 百人一首歌仙絵(素庵本系)・かるたの十二単紫式部
2 石山寺(土佐光起系)の机付き紫式部 源氏執筆
3 狩野探幽の見返り紫式部 佐竹本小町系



 ・一つ目のパターンは、かるたで見られる“十二単姿で描かれる紫式部”。・・・十二単型。

 ・二つ目のパターンは、土佐光起によって描かれた“源氏物語を執筆する紫式部”。・・・石山寺型。
 ⇒紫式部は有名になればなるほど美人に描かれる傾向が?
 ⇒後世、机が描かれている十二単姿あるいは袿姿の女性=紫式部 という定型に。

 ・三つ目のパターンは、“「佐竹本三十六歌仙 小野小町」(十二単の後ろ姿で顔は描かれない)を踏襲して描かれた紫式部”。・・・小町型。
 ⇒江戸時代以降、小野小町は細長を着た姿で描かれることが多い。




 
・・・などなど、楽しいお話満載でした。




ご講演後は、時雨殿1階にて
常設展を時雨殿の学芸員さんに、
企画展「紫式部と女流歌人たち」を吉海先生に
それぞれ解説していただきながら鑑賞。

展示内容への理解がより深まり
贅沢なひとときを過ごすことができました。






そののち、私は京都から名古屋へ移動。
翌日は徳川美術館の「国宝 源氏物語絵巻」展を鑑賞したのでありました。

それはまた別の記事にて。






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