

六條院行幸 行幸の演出その2 に引き続き、
2005年9月に京都文化博物館別館で撮影した
風俗博物館の出張展示での様子です。



簀子では、親王方や上達部たちが高欄に
一日晴の裾(きょ)をかけて居並んでいます。
解説より
“束帯の袍(うえのきぬ)の下に着る下襲(したがさね)の
すその部分を裾(きょ)という。
平安時代初期までは等身であったが、次第に長くなり官位の
高さに応じて長く引きずるようになった。”
裾(きょ)は“身分や年齢に応じて織紋や色目に差があったが、
袍に比べて比較的自由であった。
特殊な儀式や行幸、行啓の際には、「一日晴」という
その一日だけ特別な色、染物、唐織物の裾が許され、
華麗な衣裳の競演となった。”

寝殿昼御座に控える蔵人頭


寝殿に座す
源氏・冷泉帝・朱雀院。

朱雀院
源氏の君の異母兄。先の帝。直衣布袴姿。
朱雀院の後ろには、裙帯比礼の物具姿の女房が控えています。

冷泉帝(今上帝)
桐壺帝と藤壺中宮との子とされるが、実は源氏の子。
麹塵の袍を着ています。
後ろには、御倚子(ごいし)の左右に剣璽台(けんじだい)が置かれています。
剣璽=三種の神器のこと。草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。

写真左側:源氏(準太政天皇)
秘められた実の子である冷泉帝を見つめる源氏。束帯姿です。



“寝殿や対の屋の御簾の下から、女房装束の袖口の
重ね色目をはなやかに見せる装飾。
着飾っている女房が居並んでいるように見せるが、
実際は重ねた装束を朽木文様の几帳の帳ごと抱え込む
ように絞り、左右の袖口から出した裳の紐で結んである。
行幸のほかに、大饗や祭会、その他の祝儀などの晴儀に用いる。”

全体の様子。

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