平安時代好きブロガーの なぎ です。
2024年 5月のこと。
滋賀県大津市の石山寺を参詣する前に
逢坂山関址碑と逢坂の関記念公園を久しぶりに訪ねました。
京阪 京津線「大谷」駅から徒歩約3分の場所にあります。
【逢坂山関址 記念碑】
逢坂関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の境にあった関所。
平安時代には貴族女性も逢坂関を通って、石山寺へ参詣していました。
逢坂山関址を示す記念碑はあるものの、逢坂山は江戸時代に大きく掘り下げられているため、かつての関所の位置はわからないのだとか。(この記念碑よりは大津市の市街地側にあったもよう)
【逢坂の関記念公園】
2009年の公園完成当時よりは古びた印象。
逢坂の関記念公園に設置されている案内板より一部を引用します
逢坂の関と文学
●源氏物語
「関屋」の巻
常陸介と共に東国に下っていた空蝉と石山詣の途中の光源氏が再会する非常に印象的な場面が描かれています。
「賢木」の巻
斎宮下向の日、思いを募らせた光源氏が、娘と共に伊勢へ下る六条御息所に歌を贈ります。それに対する御息所の返歌 「またの日 関のあなたよりぞ御返しある」(「関」とは逢坂の関)
●その他
『枕草子』の中にも逢坂の関についての記述があります。
【逢坂の関記念公園には、逢坂関を詠った歌の碑が三基並んでいます】
それぞれ『百人一首』でもおなじみの歌ですね!
【蝉丸の歌碑】
これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
【三条右大臣の歌碑】
名にしおはば逢坂山のさねかずら 人にしられてくるよしもがな
※三条右大臣=藤原定方のこと
ちなみに、紫式部は藤原定方の血をひいています。
【清少納言の歌碑】
夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
清少納言は『枕草子』108段に「関は 逢坂 須磨の関 鈴鹿の関 くき田の関 白河の関 衣の関。」とまず最初に逢坂関を挙げています。
【国道1号線 東側・・・滋賀県大津市市街地へ】
【国道1号線 西側・・・京都府京都市方面へ】
今も昔も人々の往来を見守ってきた山です。
逢坂山 かねよ レストランで「きんし丼」をいただいたのち、いよいよ石山寺へ向かいます
【JR石山駅構内、セブンイレブン前にて】
新訂 枕草子 上 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) 清少納言 KADOKAWA