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【平安あれこれ】【太宰府】大宰府政庁跡(2023年 2月25日)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2023年 2月25日のこと。

太宰府天満宮を参拝した後、大宰府政庁跡と大宰府展示館へ。

 

奈良時代から平安時代ころまで

大宰府は、対外的には軍事と外交、内政的には西海道[筑前国・筑後国・豊前国・豊後国・肥前国・肥後国・日向国・大隅国・薩摩国]+壱岐国・対馬国・多禰国を管轄。

律令制下最大の地方官庁であり、大宰府政庁を中心に官衙がおかれ多くの役人がつとめていました。

 

【大宰府政庁 正殿跡】

 

平安時代に書かれた長編小説『源氏物語』。

その『源氏物語』に登場する姫君・玉鬘(たまかずら/たまかづら)は、夕顔と頭中将[のちの内大臣]との間に誕生。

しかし母の死を知らないまま、夕顔の乳母に伴われ京から筑紫へ下り美しく育ちます。


それは、玉鬘を育てた乳母の夫が大宰少弐(だざいのしょうに=大宰府の次官)に任じられたためでした。
玉鬘が4歳~10歳ぐらいまでを過ごしたのは大宰少弐の勤務地である筑前国の大宰府であったと思われます。

 

大宰府は平城京や平安京のように条坊制をもつ都市だったと考えられています。

北側の中央に政庁があり、そこから南にのびる朱雀大路を中心に、碁盤の目のように並んだどこかで、玉鬘は乳母や大宰少弐、乳母の息子たちや娘たちに守られながら暮らしていたことでしょう。

 

【大宰府展示館で展示されている大宰府の模型】

 

現在、大宰府政庁跡にはかつて実際に使われていた礎石とレプリカの礎石が並び、市民の憩いの公園として整備されています。

広々とした心地良い公園です。

 

…が、私が訪ねた日は風雨が強く傘がひっくり返るくらいで大変でしたw

 

【上の図はなぎ作成。大宰府政庁のおおまかな建物の配置を表してみました。縮尺や建物間の距離は正確ではありません💦】

 

【大宰府展示館で展示されている大宰府政庁 復元模型】

 

【大宰府政庁跡入り口。階段の上は、大宰府政庁南門跡】

 

【大宰府政庁 正殿跡から北を望む】

 

西暦663年、白村江の戦いで大敗した日本は

664年、大宰府の西側に水城を築き

665年、大宰府の北側にある四王寺山(大城山)に大野城を築き

同じく665年、大宰府の南側にある基山に基肄城を築き

それぞれ大宰府の守りを固めていました。

 

 

【大宰府政庁 正殿跡から南を望む】

 

【大宰府政庁 後殿跡から南を望む】

 

【大宰府展示館で展示されている大宰府政庁で用いられた鬼瓦(複製)】

顔の部位の凹凸の差が大きく、憤怒の形相です。

 

【大宰府政庁跡に咲く紅梅や白梅】

 

晴れた日にまたゆっくり散策したいものです。

大宰府政庁跡の南東部にある大宰府展示館はさほど大きくない施設ですが、大宰府について知ることができます。

 

※この記事は、私が作成しているwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』「源氏物語ゆかりの地をめぐる 遥かなる筑紫 大宰府」の内容を一部用いています。

 

 

 大宰府政庁跡(大宰府展示館)

  福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1

       公益財団法人 古都大宰府保存協会 公式ホームページ

  https://www.kotodazaifu.net/

 

 

 


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