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【平安あれこれ】紫式部の曽祖父・藤原兼輔のこと

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平安時代好きブロガーの なぎ です。

平安あれこれ。

 

紫式部の曽祖父

藤原兼輔

 

877年(元慶元年)~933年(承平3年)2月18日

 

平安前期の公卿。歌人。
中納言兼輔または堤中納言と呼ばれた。

[紫式部は曾孫にあたる。]

父は、藤原利基。
母は、伴氏。

醍醐天皇の叔父である藤原定方の従兄弟で

定方の娘婿でもあったため、定方の庇護もあり、

醍醐天皇に近侍した。

娘の桑子は醍醐天皇の更衣になり章明親王を産む。



親交が深かった敦慶親王(930年2月)・

醍醐天皇(930年9月)・藤原定方(932年)の

死が相次ぎ晩年は寂しい思いをしたのだとか。

 

家集『兼輔集』を遺す。

 


兼輔は、歌人の紀貫之(きのつらゆき)や

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)とも親しくしており

兼輔・定方・醍醐天皇・敦慶親王の4人は

醍醐朝の和歌文化を高めました。

兼輔が居住する堤第(つつみてい)は

歌人たちが集うサロン的な存在だったようです。

 

(清少納言の祖である清原深養父も兼輔の堤第に召されて

琴などを弾いていたのだとか。)



藤原兼輔は「中納言兼輔」の名で、

藤原定方は「三条右大臣」の名で

それぞれ『百人一首』に和歌が撰ばれています。

紀貫之・凡河内躬恒の和歌もあわせて以下にご紹介します。

 

みかの原 わきて流るる いづみ川

   いつみきとてか 恋しかるらむ

            中納言兼輔

名にしおはば 逢坂山の さねかづら
   人に知られで くるよしもがな

            三条右大臣

人はいさ 心も知らず ふるさとは
   花ぞ昔の 香に匂ひける

            紀貫之

心あてに 折らばや折らむ 初霜の
   おきまどはせる 白菊の花

            凡河内躬恒

 

 

下記の藤原兼輔の歌は、『源氏物語』作中に度々、子を思う親心、

闇=子を思うゆえに迷う心 として引用されています。

 

 人の親の 心は闇に あらねども
   子を思ふ道に まどひぬるかな

       中納言兼輔 (後撰和歌集)

 

 

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