私のささやかな日常。
2014年9月の京都旅行でのこと。
■俊成社
京都市下京区烏丸通松原東南角(下京区俊成町438)にある
「ホテル・京都・ベース」に宿泊しました。
このホテルの1階には
平安末期から鎌倉初期の歌人、
藤原俊成を祀る
俊成社(しゅんぜいしゃ)があるのでした。
矢印(↑)の部分に俊成社があります。
夜の俊成社と朝の俊成社。
近くにお住まいの方には
「俊成さん」と呼ばれ親しまれているのだとか。
藤原俊成の邸宅がこのあたりにあったと伝わります。
*私が2005年に俊成社を訪ねた時の様子はコチラをご覧ください。
「平安時代好きの京都旅行記」にリンクしています。
■新玉津島神社
俊成社の近くにある新玉津島(にいたまつしま)神社。<新玉津嶋神社とも。>
この神社は、
後鳥羽天皇の勅命により、
藤原俊成が自身の邸宅に
和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている
歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を
勧請したことに由来します。
江戸時代、
『源氏物語』の注釈書である『湖月抄(こげつしょう)』を著した
北村季吟(きたむらきぎん)がこの神社の宮司として
住んだこともあったのだとか。
■小倉百人一首殿堂 時雨殿
藤原俊成の子である
藤原定家が編纂した『小倉百人一首』。
嵐山には『百人一首』の多様な世界を体感できるミュージアム
小倉百人一首殿堂 時雨殿があります。
1階の常設展示スペースでは
藤原俊成や定家はもちろんのこと、紫式部など
100体の歌仙人形がずらりと並んでいます。
私が訪ねたのは
吉海直人館長による
百人一首入門講座 第29回(紫式部・大弐三位)が
開催された日でした。
藤原俊成が『六百番歌合』において
“源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり。”
と述べたことは有名です。
俊成が『源氏物語』の価値を高め、
後世、歌人たちのバイブル的な存在となりました。
*講座の様子は当方のブログ記事のコチラをご覧ください。
このように
『源氏物語』ともゆかりの深い藤原俊成。
このブログ記事が俊成ゆかりの地を訪ねる際の
参考になりましたら幸いです。
<コメントをくださる方は掲示板へ。>
web拍手ボタン
☆チェック!:Amazon/源氏物語の関連本
2014年9月の京都旅行でのこと。
■俊成社
京都市下京区烏丸通松原東南角(下京区俊成町438)にある
「ホテル・京都・ベース」に宿泊しました。
このホテルの1階には
平安末期から鎌倉初期の歌人、
藤原俊成を祀る
俊成社(しゅんぜいしゃ)があるのでした。
矢印(↑)の部分に俊成社があります。
夜の俊成社と朝の俊成社。
近くにお住まいの方には
「俊成さん」と呼ばれ親しまれているのだとか。
藤原俊成の邸宅がこのあたりにあったと伝わります。
*私が2005年に俊成社を訪ねた時の様子はコチラをご覧ください。
「平安時代好きの京都旅行記」にリンクしています。
■新玉津島神社
俊成社の近くにある新玉津島(にいたまつしま)神社。<新玉津嶋神社とも。>
この神社は、
後鳥羽天皇の勅命により、
藤原俊成が自身の邸宅に
和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている
歌道の神「衣通郎姫(そとおしのいらつめ)」を
勧請したことに由来します。
江戸時代、
『源氏物語』の注釈書である『湖月抄(こげつしょう)』を著した
北村季吟(きたむらきぎん)がこの神社の宮司として
住んだこともあったのだとか。
■小倉百人一首殿堂 時雨殿
藤原俊成の子である
藤原定家が編纂した『小倉百人一首』。
嵐山には『百人一首』の多様な世界を体感できるミュージアム
小倉百人一首殿堂 時雨殿があります。
1階の常設展示スペースでは
藤原俊成や定家はもちろんのこと、紫式部など
100体の歌仙人形がずらりと並んでいます。
私が訪ねたのは
吉海直人館長による
百人一首入門講座 第29回(紫式部・大弐三位)が
開催された日でした。
藤原俊成が『六百番歌合』において
“源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり。”
と述べたことは有名です。
俊成が『源氏物語』の価値を高め、
後世、歌人たちのバイブル的な存在となりました。
*講座の様子は当方のブログ記事のコチラをご覧ください。
このように
『源氏物語』ともゆかりの深い藤原俊成。
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