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【平安あれこれ】鏡神社 ~松浦なる鏡の神~(2024年6月)

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平安時代好きブロガー なぎ です。

 

2024年 6月のこと。

佐賀県唐津市にある鏡神社を参拝しました。

 

【鏡神社 鳥居】

 

鏡神社は『源氏物語』において「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と歌に詠まれ「松浦の宮」と本文に登場します。

また紫式部の家集『紫式部集』でも「松浦なる鏡の神」「松浦の鏡」と歌に詠まれています。

 

平安京から遠く離れていながらも『源氏物語』と『紫式部集』の両方に出てくる神社として稀有な存在だと思います。

 

【鏡神社 一の宮 ご祭神:息長足姫命(神功皇后)】

 

『源氏物語』玉鬘巻

玉鬘と乳母たちは肥前国に滞在していた頃、鏡神社を信仰していました。

肥後の豪族・大夫監が玉鬘へ求婚の歌を詠み、乳母が玉鬘の代わりに返歌を詠む場面があります。

 

大夫監が詠んだ歌

 君にもし心違はば松浦なる 鏡の神をかけて誓はむ

 

[現代語訳:姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います]

 

 

乳母が詠んだ歌

 年を経て祈る心の違ひなば 鏡の神をつらしとや見む

 

[現代語訳:長年祈ってきましたことと違ったならば鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

 

ここで「松浦なる鏡の神」「鏡の神」と詠まれているのが、鏡神社のことです。

玉鬘と乳母たちは、大夫監からの強引な求婚から逃れるために、船で筑紫を脱出することを決意します。

 

【鏡神社の境内には、大夫監が詠んだ歌の碑があります】

 

 

『源氏物語』玉鬘巻において、船出する時のこと。

 

 ただ、松浦の宮の前の渚と、かの姉おもとの別るるをなむ、顧みせられて、悲しかりける。

 

[現代語訳:ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

「松浦の宮の前の渚」とは鏡神社の前に広がっている渚のこと。


玉鬘一行は唐津湾あるいは松浦川から船出しますが、乳母の娘のひとりで “おもと” と呼ばれる女性は肥前での家族が多くなっているため肥前に残ることに…。


 “おもと” の妹は、鏡神社の前に広がる美しい海辺の景色と 姉 “おもと” との別れを悲しむのでした。

 

筑紫から無事に帰京した玉鬘たちではありますが落ち着いて住むすべがありません。

そこで京都府八幡市にある石清水八幡宮への参拝をします。

 

『源氏物語』玉鬘巻


 「[略」近きほどに、八幡の宮と申すは、かしこにても参り祈り申したまひし松浦、筥崎、同じ社なり。[略]」

 

[現代語訳:この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。]

 

【本文・訳は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】

 

乳母の息子が、京の近くにある石清水八幡宮は筑紫滞在中に京に帰れるよう信仰していた松浦の鏡神社(佐賀県唐津市)・筥崎宮(福岡市東区)と同じ社であるから無事に上洛できたお礼参りをしましょう、と参拝をすすめたのでした。

 

石清水八幡宮の御祭神:応神天皇、比咩大神、神功皇后(息長帯比賣命) 鏡神社の御祭神   :息長足姫命(神功皇后)、藤原廣嗣朝臣 筥崎宮のご祭神   :応神天皇、神功皇后、玉依姫命

 

鏡神社の御祭神に応神天皇(八幡大神)はいませんが、応神天皇の母である息長足姫命(神功皇后)が祀られていることにより応神天皇(八幡大神)と同質の神と見做されたのではないかと…。

平安時代の信仰が気になるところです。

 

【二の宮 ご祭神:藤原廣嗣朝臣】

 

『源氏物語』の作者である紫式部はなぜ、平安京から遠く離れた肥前国の鏡神社のことを知っていたのでしょう?


それは紫式部は、平安京から筑紫の肥前国へ下った女友達と文通していたからなのでした。ふたりの交流は紫式部の家集『紫式部集』から知ることができます。

 

 『紫式部集』より

 

紫式部が詠んだ歌
 

 あひみむとおもふ心はまつらなる 鏡の神やそらにみゆらむ

 

[現代語訳:あなたに逢いたいと思う心は、松浦にある鏡の神も空にあって御覧になっておられるでしょうか。]

 

 

紫式部の女友達が詠んだ歌

 

 ゆきめぐりあふをまつらの鏡には 誰をかけつついのるとかしる

 

[現代語訳:ゆきめぐり、またあなたと逢える日を待つという、松という名を負う松浦の鏡には、誰を心に懸けて祈っていると御存知ですか。いうまでもなくあなただけです。]

 

【本文・現代語訳は『新訂版 紫式部と和歌の世界 一冊で読む紫式部家集 訳注付』(上原作和・廣田収 編)より引用】

 

紫式部の歌に「まつら(松浦)なる 鏡の神」とあり、『源氏物語』玉鬘巻に出てくる大夫監の歌を彷彿としますよね。

女友達は「まつら(松浦)の鏡」と詠んでいます。

 

この歌が詠まれたのは、紫式部の父である藤原為時が越前守として越前国に赴任していた頃のこと。

結婚前の紫式部は為時とともに越前国へ下っていました。

一方、女友達もまた肥前守となった父とともに京から肥前国に下って暮らしていました。

 

1000年以上も前に、越前と肥前…遠く離れていながらも鏡神社を介して再会を願った女性たちがいたこと。

それを現在、知り得ることができて切なくも嬉しく思います。

 

この女友達は、肥前守平維将の娘で紫式部とは従姉妹関係にあたるともいわれています。

 

 

 

 

さて、鏡神社には他にも見どころがあります。

【狛犬】

狛犬ならぬ、狛虎…?虎の姿をしています。

雌の狛犬の足元には赤ちゃん狛犬がいます。

 

【子宝・安産のご神木】

二の宮の近くにある樟で、おなかがふくらんだ妊婦のような姿をしています。

子宝・安産・夫婦円満にご利益があるのだとか。

 

 

※この記事は、私が作成しているホームページ『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』『花たちばな』での鏡神社のページをもとに編集・加筆しました。

 

 

 鏡神社

  佐賀県唐津市鏡1827

  https://kagami.or.jp/

 

 

 

紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)   倉本一宏 講談社

 

紫式部と王朝文化のモノを読み解く 唐物と源氏物語 (角川ソフィア文庫)   河添 房江 KADOKAWA

 

新訂版 紫式部と和歌の世界―一冊で読む紫式部家集 訳注付   上原 作和 武蔵野書院

 

 

 

 


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