平安時代好きブロガー なぎ です。
大河ドラマ「光る君へ」第24回 忘れえぬ人[2024年6月16日放送]において、まひろ(紫式部)の友達・さわ が肥前国で亡くなったことがまひろ宛ての手紙でわかりました。
声と手紙だけで登場したさわ(野村麻純さん)の声が切なかったです。
肥前にいるさわが越前にいるまひろへ詠んだ歌
ゆきめぐり逢ふを松浦の鏡には
誰をかけつつ祈るとか知る
[訳:行き巡り逢うのを待つという松浦の鏡の神は、誰のことを心にかけつつ祈っていると知っているのでしょう。まひろさんのことを思っているのですよ。]
松浦(まつら)の鏡の神とは、現在の佐賀県唐津市にある鏡神社のこと。
さわは、まひろに再会したいと強く願っていました。
けれども京へ帰ることも叶わず肥前国で亡くなってしまいました。
実際に、紫式部には肥前国に下った友達がいたこと・その友達と思われる人物が京に戻ることなく亡くなっていること、
これらは紫式部の家集『紫式部集』の詞書や歌からわかっていることです。
【鏡神社 一ノ宮】
「光る君へ」では登場しませんでしたが、紫式部はこんな歌を詠んでいます。
あひ見むと思ふ心は松浦なる
鏡の神や空に見るらむ
[訳:あなたに逢いたいと思う私の心は、あなたが住む肥前の松浦の鏡の神が空から見てくださっていることでしょう。]
この歌への返歌が、初めにご紹介したさわ(紫式部の友達)の歌なのでした。
共通して出てくるのが「松浦なる 鏡の神」「松浦の 鏡」と詠まれた鏡神社です。
紫式部は越前国に住み、紫式部の友達は肥前国に住んでいました。
彼女たちはそれぞれ遠く離れて暮らしていても松浦にある鏡の神を介して再会を願った。
手紙のやりとりにはかなりの日数を要したことでしょう。
それでも『紫式部集』を通じてふたりの歌は1000年以上残り、大河ドラマ「光る君へ」で友達が詠んだ歌は世に出ました。
すごいことだと思うのです!
当時、国司になった父や夫の赴任にともない京を離れた多くの女性もまた、京へ無事に帰りたい・友達に再会したい…いろいろな思いがあったでしょうね。
無事に帰京できた人もいれば、京から離れた地で病気やケガなどで亡くなった人もいたことでしょう。
彼女の場合、紫式部の友達だったからこそ『紫式部集』に歌が残されました。
『紫式部集』は紫式部が晩年になってからまとめた家集だといわれています。(少なくとも前半はそうだろうと。)
紫式部にとって晩年を迎えるまで彼女との交流が思い出深く、また大事な歌だったからこそ『紫式部集』に入れたのだろうと思われます。
それにより彼女の存在は現在まで知られることになりました。
平安京で生まれ名前が残ることもなく肥前で亡くなったひとりの女性が、こうして大河ドラマに脚色されつつも「さわ」という名前を与えられ登場したことに、どこか救いを感じます。
(あの世でご本人は、私はあんなじゃなかったわ!と怒っているかもしれませんが…笑)