2018年8月の奈良旅行でのこと。
奈良県立万葉文化館のミュージアムショップにて
「三輪そうめん 山本」の『麦縄菓子(むぎなわがし)』を買いました。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
麦縄菓子(国産小麦使用)
古来大陸より伝来した小麦での麺作りは、一方では細いそうめんとして、
又一方では原型を留めた形で菓子として今も親しまれています。
そうめんと同じルーツから派生した麦縄菓子の味をお楽しみください。
*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*
油菓子なので歯ごたえはバリバリボリボリという感じ。
ほんのり塩味。
噛むほどに小麦粉のうま味が口いっぱいに広がります。
癖になりそうな素朴なおいしさ。
何本でも食べられそうです(笑)
奈良旅行中、素麺(そうめん)もいただいたのでした。
麦縄(むぎなわ)は索餅(さくべい)とも呼ばれています。
索餅とは
『平安時代史事典』より
“小麦粉と米粉を水で練り、それに塩を混ぜて縄状にした食品。
その形状から麦縄{むぎなわ}ともいう。乾燥して保存し、
茹でて醤・未醤・酢などに付けて食したらしい。”
“七月七日の七夕には瘧除{ぎやくよ}けのため食され、
そののち素麺がこれに代わって長い伝統となった。”
索餅を運ぶ女房(写真は風俗博物館の過去の展示の様子です)
平安時代の索餅[麦縄]は油で揚げたものではなかったのですね。
唐菓子のひとつと言われているので油を使っている印象がありました。
『風俗博物館』のサイト内のページより
“鎌倉時代から室町時代になると、七夕の食べ物として
あったこの索餅の位置に「素麺(そうめん)」が取って
代わるようになる。油などを利用して小麦粉が伸びる
性質を利用して素麺が作られていることを考えると、
索餅は素麺の原型であったようだ。”
平安時代、七夕に索餅が食べられていたけれども
中世以降、七夕には素麺が食べられるようになったのですね。
その転換期が気になるところです。
食べ物の文化や歴史も興味深いです~。
奈良県立万葉文化館のミュージアムショップにて
「三輪そうめん 山本」の『麦縄菓子(むぎなわがし)』を買いました。
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麦縄菓子(国産小麦使用)
古来大陸より伝来した小麦での麺作りは、一方では細いそうめんとして、
又一方では原型を留めた形で菓子として今も親しまれています。
そうめんと同じルーツから派生した麦縄菓子の味をお楽しみください。
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油菓子なので歯ごたえはバリバリボリボリという感じ。
ほんのり塩味。
噛むほどに小麦粉のうま味が口いっぱいに広がります。
癖になりそうな素朴なおいしさ。
何本でも食べられそうです(笑)
奈良旅行中、素麺(そうめん)もいただいたのでした。
麦縄(むぎなわ)は索餅(さくべい)とも呼ばれています。
索餅とは
『平安時代史事典』より
“小麦粉と米粉を水で練り、それに塩を混ぜて縄状にした食品。
その形状から麦縄{むぎなわ}ともいう。乾燥して保存し、
茹でて醤・未醤・酢などに付けて食したらしい。”
“七月七日の七夕には瘧除{ぎやくよ}けのため食され、
そののち素麺がこれに代わって長い伝統となった。”
索餅を運ぶ女房(写真は風俗博物館の過去の展示の様子です)
平安時代の索餅[麦縄]は油で揚げたものではなかったのですね。
唐菓子のひとつと言われているので油を使っている印象がありました。
『風俗博物館』のサイト内のページより
“鎌倉時代から室町時代になると、七夕の食べ物として
あったこの索餅の位置に「素麺(そうめん)」が取って
代わるようになる。油などを利用して小麦粉が伸びる
性質を利用して素麺が作られていることを考えると、
索餅は素麺の原型であったようだ。”
平安時代、七夕に索餅が食べられていたけれども
中世以降、七夕には素麺が食べられるようになったのですね。
その転換期が気になるところです。
食べ物の文化や歴史も興味深いです~。